Rock_ozanari’s diary

ノージャンル。音楽系はまあまあ多いです。

宇宙刑事ギャバン

若い人(私もだが)だと知らない方も多いかもしれないが、宇宙刑事ギャバンという特撮物がある。私は、記憶が正しければ小学生の頃の夏休みにテレビで観た。私は特撮が割と好きで、今でも酒を片手にウルトラマン仮面ライダーを観る事がある。子供の頃は戦闘シーン以外はどうでも良かったのだが、今になってみるとむしろ戦闘シーン以外が面白く感じる。有名なところでは、ウルトラマンセブンで、セブンがメトロン星人とちゃぶ台を挟んで対話するシーンがある。調べれば出ると思う為内容は省くが、とにかくメッセージ性が強く、子供の頃とはまた違った視点で観れるようになるとなかなか興味深い内容の物が多いのだ。

特撮の曲に関しても同様で、聴く人によれば「ダサい」のだが、呆れるほどストレートなメッセージが心地よい。
宇宙刑事ギャバンの歌詞で言えば、「若さってなんだ 振り向かない事さ 愛ってなんだ 躊躇わない事さ」と、なんだか大事な事を改めて気づかせてくれたような気持ちになるのだ。

特に「若さってなんだ 振り向かない事さ」の部分は個人的にはなかなか衝撃で、もちろん常々思っていた事ではあったのだが、子供の頃に慣れ親しんだ物を大人になってから再び触れて指摘されると感慨深い物がある。

近頃の私は振り向いてばかりで、まだ年齢的には若い世代ではあったとしても、随分歳をとったものだと感じる。「あの頃は楽しかった」が思考の7割程を占めている。
もっとも私にとって「楽しかったあの頃」というものは殆ど無いのだが、その僅かな時間を反芻してしまっている。

私は傍目には随分と辛い人生を歩んできた。「俺がお前ならとっくに自殺してるよ」と何人から言われたかわからない。しかし、私は私の人生に概ね満足している。一瞬でも楽しかった過去があるのはそれだけで幸せだ。気兼ねなく話せる元同級生のメンバーや、「たまには連絡しろよ」と言ってくれる歳上の友人、辞めた今でも飲み会に誘ってくれる学生時代のアルバイト先の後輩。少ないながらも、自分を取り巻く環境はとても暖かいものだ。そんな彼ら彼女らとの思い出を振り向く事が若さからの衰退であるのなら、私はただの歳をとった子供で良い。

なんでも無い事で(今回は宇宙刑事ギャバンの曲を聴いた事で)自分を見つめ直す機会が自然に発生するのは、子供よりは長く生きてきた大人の特権なのかもしれない。
良くも悪くも自分を見つめ直すのに時間はいらない。きっと、過去も未来も現在も大切にして良いのだと思う。大切にするべきだ、とは決して言わないが。

先日雪が降り積もった。私が今の住まいに越してきてから初めての積雪となった。元々住んでいた場所と電車で1時間程しか離れていないにも関わらず、気温は5℃程も違う。

雪の降った日、私は友人からの飲みの誘いを快諾し新宿へと繰り出した。
家を出た時、周辺には雪が積もっており、非常に歩きづらかった。どうにか最寄りの駅まで辿り着き、小一時間電車に揺られ、大迷宮新宿駅へ到着した。
いつも通り迷子になりつつようやく外に出ると、其処にはもう雪は殆ど残っていなかった。往来の激しい道には、片隅にすら雪は残っていない。しみじみと、都会では積雪の寿命は短いのだと感じさせられた。

子供の頃、雪が降るのはたまらなく喜ばしいことだった。童謡の犬のように庭を駆け回り、友人と雪合戦やカマクラ造りに勤しんだ。
大人になった今、雪というのは迷惑な物でしかなく、寒さを助長し、白に反射した陽は目に眩しく、足を取られぬよう背を丸めて慎重に歩く。麻痺した交通網、すし詰めの電車、怒鳴る客と怒鳴られる駅員。

正直に言えば、ある程度大人に近づけば、日常に雪が降ることを喜ぶ事は殆ど無い。子供の頃の喜びは何処かへ行ってしまった。ただ、まだ踏み荒らされず、排気ガスに汚されもしない積雪を、綺麗だなと思える心を失ってしまった人はそうそういないだろう。
友人とお開きにし、ほろ酔いで自宅へ戻る道すがら、そんな事を考えた。新宿から小一時間電車に揺られ、最寄りの駅に到着すると、まだ雪は多く残っていて、ここは人が少ないな、となんとなしに思った。

キャッチコピー

キャッチコピーが好きだ。短い文章で「おっ」と思える秀逸なキャッチコピーは世の中に多くある。

碌に見もしないCMや、街角の広告、本の帯など。有名な物もそうではない物も、とにかく私のお気に入りのキャッチコピーを紹介していこうと思う。


恋が着せ、愛が脱がせる

君が好きだと言う代わりに、シャッターを押した

スカートも哲学書も、捲るのは十代だった

料理の味は、よくわからなかったけれど、あの人がいたから、おいしかったのです

わたし、会社なんて、酔わなきゃ行けません

無鉄砲という武器を、あんたにあげよう

一冊、同じ本を読んでいれば、会話することが出来ると思うの
新潮社

ため息の多い国だから
明治キシリッシュガム

「一本しか売ってなかった」と好きな子に嘘をついた

10
ちっちゃな本がでかいこと言うじゃないか

11
母から初めての宅配便。段ボールごときで、自分が泣くなんて、知らなかった
ハウスメイト

12
母が年をとったことを、味の薄さで知りました
天王醸造

13
NOVA

14
世の中に存在するたいていの食べ物は、所詮おかずだ
日本米殻販売事業共済協同組合

15
この夏も、やがてあの夏になる

16
明らかにモテ期だ。彼女が。それでも、前を向く
Roots

17
眠れない夜は、いつもよりちょっとむずかしい本を読んでみる

18
こころ残りの大半は、言えなかった「ありがとう」だったりします
平安閣グループ

19
自分の夢まで、自己採点しないでください

20
服よ、黙れ
天下堂

21
勉強を教えてください。でも、勉強しかできない子には、しないでください
稲田塾

22
誰も知らなかったら、無いのと同じ
名古屋広告業協会

23
君よ、散財にためらうなかれ。君の十銭で浅草が建つ
宝島社

24
ビールは透明な音楽だ

25
一目で義理とわかるチョコ


以上です。
まだまだありますが紹介しきれないので、興味を持ってくださった方がいたら街に出て探してみてください。いい物があったら、私にも教えてください。

郷愁

小学生の頃、他県で過ごした。背の高い建物など殆ど無く、公園の多かったその場所はとても長閑だった。不思議なもので人間とは生まれた場所やもっとも長く過ごした場所よりも、少年の頃に過ごした場所を故郷と感じるようだ。つまるところ私にとっての故郷とは、東海とも中部ともとれる大きな県の中にある、県より有名な市にある小さな町なのだ。

学生生活が終わりに差し掛かった頃、誰にも告げずに1人ふらっと故郷に帰った事がある。
数多の公園のいくつかはアパートに変わり、背の高い建物がいくつか増え、通っていた小学校は廃校になっていた。私が通っていた当時も6学年合わせて100人に満たなかったのだから当然かと納得しつつも、寂寥感は募った。
その後に住んでいた5階建ての小さなマンションに立ち寄った。一階で夫婦で営んでいた仲の良かった小さな喫茶店は閉店し、理髪店になっていた。あの夫婦はどこに行ってしまったのだろう。思い返せば随分良くして貰っていた。
当時住んでいた最上階の部屋は、今は知らない誰かが住んでいて、隣の部屋の表札も変わってしまっていた。

10年と少しで随分と変わるものだ。
遠路遥々やってきてはみたものの、私は当時の友人と会うどころか連絡すらしなかった。きっと再会したところで、当時の無邪気に笑い合えた関係性はとうに終わってしまっているだろう。再会して、流行りの音楽を聴いて、お洒落な服装をした彼ら彼女らを見てしまった時、きっと自分勝手な絶望を抱いてしまうだろう。

美しい想い出は美しい想い出のままが良い。
ふらっとやってきてしまった事を少しだけ後悔しながらそそくさと帰路についた。
ああ、ここにはもう自分が帰る場所はないんだな、そんな事を再確認した一人旅だった。

そういえば引っ越して間もない頃に何度か友人とやりとりした手紙は、いつの間にかにどこかに行ってしまった。それを今では哀しいとも、寂しいとも思わない。

悪しき労働環境

昨晩Twitterブラック企業の求人が少ない転職サイトはないかと聞いてみた。約10000人のフォロワーがいる為多種多様の返答を期待したのだが、基本的な返答は以下の通りだ。

「そんなものはない」
「日本の仕事は殆どをブラックだと思った方が良い」
「一般公開されているのはブラックばかりで、ホワイトは直接紹介くらい」

もちろんイメージで言っている人もいるだろうが、実体験も多く含んでいた。

一向に改善されない日本の労働環境も大概問題だと思うが、私が思うにそれを作り出したのは我々消費者とも言える。

「安く、質の良いものを!」

これが原因である。

世の中の大概の物は値切ることができる。住宅、車、楽器etc…
同業種のこの会社はいくらだからうちはそれよりも安く…
値引きによって減少する純利益分をどのように確保するか。人件費の削減である。
給料は安く、労働は長く。悪しき労働環境の始まりである。
経費削減の最初の目の付け所が人件費という神経もどうかと思うがそれが現状である。

なにも悪いのは世の中の会社だけではない。仕事をしない労基だけでもない。
根幹には我々消費者がいる。しかし消費者の意識改革ははっきり言って不可能だ。今更すぎる。

よく「労働基準法なんて守ってたら会社が潰れてしまう」

そんな言葉を耳にする。是非潰れてほしい。法律も守れない会社に存在価値はない。それを言うと今度はこんな言葉を耳にする。

「そうなったら日本中の会社の殆どが潰れて日本が機能しなくなる」

そうなって構わない。自国の法律が足枷となって滅びる国など害なだけだ。

我ながら暴論であるとは思うが、これは正直な気持ちだ。私の友人には社会で痛めつけられて再起不能になった者もいる。生きる為の労働で生きる気力を失う者が多々いる。私はそれが許せない。

はっきり言って今の日本の労働環境は最悪だ。もはや先進国を自負するのも烏滸がましい。

話は前半に戻るが、Twitterで私が転職サイトについて質問を投げかけた所、いくつかの企業の人事の方やいくつかの転職サイトの方とお話をする機会を得た。
解ったのはまともな転職サイトもある、という事だ。名前は明かさないがその転職サイトの方ははっきりと「正直ブラック企業の求人もあります」と言ってくれた。その上で「ただ、ブラック企業ブラック企業ではないかのような載せ方はしない」と。実際に登録していくつか見てみたが、確かにその通りである。私の周囲でもその転職サイトを使って転職した者がいるが、彼も転職に成功している。信用の置けるサイトもまだ残されている、という事だ。

今の若者には社会に出る事に対して希望的な見方をする者は殆どいない。
国立や有名私立を出ていてもみんながみんな幸せになれるという時代でもない。それでも私達は細く頼りない希望を手繰らなければならない。いっそ教祖になりたい。もしくはヒモに。そんな、時代だ。

モテない男を勘違いさせる女子

私はモテないんですよ。それはもう絶望的に。
世の中にはモテない男子はたくさんいるでしょう。そんな純真無垢な男子達に共感しかしてもらえないであろう記事を今日は書きたいと思います。

「あれ、こいつ、俺の事好きなんじゃないの…?」

そんな風に思わせる行動をする女子、いますね。パターン毎に書いていこうと思います。

【其の一】 目が合う
これです。私たちのような非モテメンズは目が合うだけで恋に落ちる。実にチョロい。何故目が合うだけで恋に落ちるかって?それは我々がモテないから。例えば授業中、退屈で仕方がなく、ふと斜め後ろを振り返ると女の子と目が合って、控えめに微笑まれる。これはもう駄目です。イエス、フォールインラブ。その日の晩にはメールとかで告白しちゃう。もちろん返信は来ないんですけどね。下手したらメールアドレスを知らない可能性もある。

【其の二】 休み時間、自分の机に腰掛けている
これは高校までなんですが、教室って席が決まっていますよね。休み時間になると私はトイレに行く訳です。そして帰ってくると、自分の机に女子が腰掛けてなにやら喋っている。なに?俺の事好きなの…?こうなります。しかし実際はそんなことはない。たまたま私の席の前後左右に仲の良い奴がいる。それだけです。「ちょっとそこどいてくれない…?」この一言が言えない私はいつも休み時間が終わるまで教室後ろの見たくもない掲示板を見て過ごしていました。というか机に座ってんじゃねぇぞ。もちろんそんなことは言えない。

【其の三】 隣に座る
これはもうどこでも良い。教室だろうが電車だろうが居酒屋だろうがカラオケだろうがどこでも良い。あれ、俺の隣以外にも席空いてるのに隣に座るってことは…もしかして…。でも実際はなにも気にしていない。本当に、なにも。もしかしたら私の存在に気づいていないだけの可能性もある。隣にいるのに。

【其の四】 「それ、一口ちょうだい♪」
もはや説明不要。だってあなた、それ間接キスですよ。もうこれは俺の事好きでしょ!好きじゃないならそういうことしないでよ!みたいな。非モテメンズってのは純真なんです。弄ばないで。

【其の五】 相談
非モテメンズのような無害な生き物には経験が多々あると思う。相談。「あれ、俺、頼りにされてる…?」されてません。無害なだけです。決して名前を明かさない恋愛相談。「あれ、これ、もしかして俺の事…?」

私「もしかしてそれって俺のこ…」
女「名前明かしちゃうと高橋君の事なんだけどね(照)」

高橋君死なないかなー!

汚い。女子って奴はなんて汚いんだ。

【其の六】 ❤️
メールやLINEの❤️の絵文字。これはもう、本当に勘違いしますからね。

女「今日授業くる?」
私「行くよ」
女「ほんとにー!じゃ、一緒に受けよ❤️」

やめましょうね、本当にね。本当に。その気がないなら。

【其の七】 服装
これは実体験に基づき確実に意識させる事ができる方法。
大学生の頃、ギャルってる後輩の女の子と仲が良かった。ある日の事。

女「先輩ってどういう女の子が好きなんですか?」
私「大人しめな服装と髪型の子が好きです」

その次に会った時、髪を黒く染めて大人しい服装をした彼女に会いました。

それはずるくないですか?!

といった具合です。女子って奴は非モテメンズをからかうのが好きなのかもしれない。なんて奴らだ。

ある時を境に、冷たい人間だと、心のない人間だと言われるようなった。
笑わない、人と積極的に交流を持たない、そんな面白味のない人間だと言われるようになった。

ある時期に親しくなった(少なくとも周囲からはそう見えた)女性がいた。彼女は感受性のとても強い女性で、私の、自分では自信のあった愛想笑いを直ぐに見抜き、何かにつけて側にいて、支えようとした。私はそれがとても不愉快だった。出会ったばかりの彼女が、これまでの自分を知っているかのように接してくるのは、私の自信が化粧をしたような、尊大で矮小なプライドが許さなかった。
それでも、彼女の熱心な心遣いにより私は段々と彼女の存在を受け入れ、やがて心地良くなっていった。などということはまるでなく、終始不快だった。
というのも、彼女が私の側で支える、という一連の行為にある種の虚栄心が見え隠れしていたからだ。支えるのであれば虚栄心は上手に隠せ。もしくは無垢でいろ。しかし残念なことに、無垢な人間など赤児を除けばこの世にいない。私の女性に対する不信感は日に日に募り、やがて彼女とはやや一方的に決別した。真意はどうあれ、頻繁に連絡を取り合い、食事をした間柄の人間を自分勝手な感情で拒絶しておいて、悲壮感も喪失感も、解放感も。なにもなかった。なにもないことに幾許かの安堵と絶望を感じつつ、今なら周囲の「冷たい人間だ」という揶揄を受け入れられる気がした。

学生の頃、数人の友人達といつも一緒にいた。自分の勘違いでなければ、彼らこそ親友と呼べるものだと思う。親友という曖昧な単語が嫌いな私がそう思う程、素晴らしい友人だ。彼らといて気付くのは、私が求めていた安堵感は愛情によるそれではなく、友情なのだという事だ。もしくは、友情と愛情の混合した感情と関係。
私は短期間の恋人関係は恋愛であるが、長期間の恋人関係は友情に近いものだと感じている。今私は友情を手に入れ、以前ほど冷たい人間だと言われなくなった。しかし、冷たい人間ではなくなったかと言われれば、それはそれで疑問の残る所だ。

この正月に、約半年ぶりに実家に帰った。5月に一人暮らしを開始してから初めての事だ。
実家に住んでいた頃、私は其処がどうしようもなく居心地が悪い、はっきり言えば嫌いな場所だった。親子仲が悪い、決定的に意見や感性が合わない、血が繋がっていない、子供の頃はよく暴力を受けた等、色々理由はあったのかもしれない。ただ私は家族の事が本当に苦手だった。
実家に住んでいた頃は、私は家族の事が嫌いなのだと思っていたが、おそらくそれは違い、苦手だったのだと今では思う。根本的に合わない人間同士なのだ。当然、感謝はしている。これまで育ててもらい、今でも気にかけて貰っている。感謝はしてもしきれない。ただ、どうにも好きになれない。私は冷たい人間だろうか。きっと、冷たい人間だろう。冷たい暖かい以前におそらく人として何処か欠落しているのかもしれない。久しぶりに会った両親は歓迎してくれた。それに対して感謝もした。
ただ、その時にふと、自分は両親が死んでも泣かないだろう、という確信を得た。そんな後味の悪さを残す帰省となった。

実家では煙草が吸えない。
一人暮らしのアパートに帰宅途中、2日ぶりに吸った煙草は病み上がりの味がした。