Rock_ozanari’s diary

ノージャンル。音楽系はまあまあ多いです。

この世でトップクラスに悲しい生き物。アマチュアバンドマン


俺の事ですね。
最近書いた記事とちょっと内容被るんだけどそこは許されたい。ぶっちゃけ自分で書いた記事って次の日には内容忘れてるし基本的に読み返さないしな。

まずアマチュアバンドマンという生き物を「将来デビューして音楽で食って行きたいぜ!」と思ってる生き物として無理やり一括りしようと思う。普通に純度100%の趣味として休日にバンドやってる人とかもいるからね。それは別の生き物です。

で、アマチュアバンドマンのまず悲しい所、というか実質これに尽きるんだけど「常に金がない」本当にこれ。だってあなた、俺は社会人3年目の24歳ですよ?なのに今時点で全財産2300円ってどういうこと?ちなみに明日バンド練習でスタジオ入るので2000円失います。絶対幸せになってほしい。俺が。

これはもう繰り返し何度でも言っておきたいんだけど、音楽活動ってめちゃくちゃ金がかかるんですよ。練習するのにもスタジオ入って3時間2000円使って、ライブをすればお客さんの有無にもよるけど数万円使って、そろそろちゃんとしようよって音源とか作り始めると10万円とか簡単に吹っ飛んでいくわけです。コミケで散財するオタクよりヤバい。

それに加えて弦が切れるしスティックは折れるし欲しいギターはたくさんあるし、ちょっと宅録の環境でも整えるか〜つってキューベースのいいやつに七万円とかかけたりする。

俺はギリギリ限界社会人だけど、まあいい歳してプロを夢見てるアマチュアバンドマンって結構な割合でフリーターなんですよ。世間の目が痛かったり正月に親戚の説教から逃れる為に無理やりバイト入れたりして、それでも俺には夢があるからって無理やり自分を納得させながらコンビニでレジ打ってる訳。店長の「そろそろ正社員にならない?」みたいな善意を踏みにじりながら、親の期待を裏切りながら、客ゼロのライブハウスで聴き取れもしない歌詞を対バンのメンバーに届けようと顔を歪ませてる。お客さんいないし。
汚れも恐れも知らない幼子に「地獄ってなに?」って聞かれたら平日23:00の新宿のライブハウスだよって言えば多分だいたい合ってる。

対バン5組の内3組がフォーピースバンドで1組がスリーピースバンド、もう1組が弾き語りシンガーだったとして、更に全バンドが集客ゼロならその空間には自分の他に16人しかいない訳。もっともライブハウスのスタッフとかいるけどそこはまあ良いでしょう。

16人って結構多くない?って思うかもしれないけど、事実そんなことはない。その16人が全員ちゃんと対バンの演奏聴いてる訳じゃないし、大抵は酒飲んで煙草吸ってスマフォいじってる。酷いと明日バイト朝からだからとか言って帰ってたりする。

ライブハウスに行かないよって人は想像しにくいかもしれないけど、アマチュアバンドマンがライブをするライブハウスって当たり前だけど武道館みたいなデカくて晴れやかな舞台じゃなくて、なんていうかな、キャパ200って言うけど本当に200人も入るのこれ?みたいな狭い空間と低い天井、閉塞感の塊みたいな場所で良くない音を鳴らして叫んでる、そういう村上龍にめちゃくちゃ汚く描写されそうな酷い空間。
でも最近は綺麗なライブハウス増えましたね。大塚のDeepaとか、下北沢のモザイクとか。

ところでアマチュアバンドって集客どのくらいなの?という当たり前の問いに恥を隠さず解答すると、0〜5人くらい。10人も集められたら多分ライブハウスのブッキング担当に結構褒めてもらえる。まあ大概客0でも褒めてもらえるんだけど、まあそれはそれとして。地獄指数が上がるのでこの話はやめよう。

お客さんを10人呼んだらまあまあ凄いというのがアマチュアバンドの悲しいところなんだけど、よく考えてみてくださいよ。バンドメンバーが4人居たとして、1人当たり3人づつお客さんを呼んでくれればお客さんは12人になって簡単に10人呼んでる!すげえ!みたいな段階はクリア出来るんですよ。でもそれが出来ない。1人当たり3人をライブハウスに呼ぶことも出来ない。ここはそういう世界だ。シビアでしょ。残念な事に俺たちには人としての魅力が足りないの。

ここで当然の疑問として「バンドとして」10人呼べないの?というのがあると思うけど、呼べません。基本的にはライブだけしてファンを獲得するってのはかなり難しい。実際俺もたまたま観たバンドをちょっといいな、と思ってもわざわざ知り合いもいないのにまた観に行ったりとかしないし、Twitterとかフォローどころか探しもしない。下手したらバンド名忘れてる。

だから、まずは友達とか知り合いを呼ぶ事になる訳だけど、本当に悲しい事にアマチュアバンドマンは大概友達がいないからお客さんは呼べない。たまに来てくれたりする。アマチュアバンドはそういう友人知人の善意と気まぐれで次回のスタジオの予定を決める事ができます。本当ありがとうございます。ちゃんとします。

年齢重ねる度に友達も歳とって結婚したりもしかしたら子供も出来てたり、仕事も立場上がって忙しくなって、ライブハウスにお客さんとしてきてくれるどころか普通に飲みにも行けないみたいな事態になってくる。幸い俺の友達はほとんど独身フリーターなのでよく遊んでます。いつも遊んでくれてありがとう。

で、まあ時代的な背景もあるんだけど、フリーターだろうが正社員だろうが、結構みんな余裕ないしライブハウスから足が遠ざかると友達間での口コミみたいなものも減ってくるし(元々あってないような物だけど)そうするとじゃあ俺たちにはインターネットしかないねと言って金かけてレコーディングしてもっと金かけてPV作って、Twitterにあげて【拡散希望】を色んな人に無視されながら再生数107、高評価2、低評価1、コメント0みたいな事になる。レコーディングと合わせて10万円近くかけてるであろうPVも、だいたいそんなもんです。なんか書いてて泣きたくなってきた。でも泣かない。男の子だし。

いや本当、バンドなんてずっとやってたら自分が売れもしない12曲入り1500円のアルバム作ってる内に同級生が家建ててたりしますから。そういう世界に俺たちは生きてます。

そういやこのブログで書いた事なかったかもしれないけど(@Rock_ozanari)でTwitterやってます。海って名前で海のアイコンです。わかりやすい。フォローしてね。人生とか。

それでは。

お客さんありきの音楽


音楽には大まかに2種類あって、1つは「お客さんを意識した音楽」で、もう1つは「自分の信じるものをひたすら追究する音楽」です。

両者に良し悪しも優劣もなくて、単に好みの話でしかないのだけれど、メジャーで活躍しているようなバンドから、客0のライブハウスで大金払ってライブしてる地獄指数の高いバンドまで、だいたいその2つのどちらかに分類されます。

俺個人の意見というよりも世間でよく言われていることだけれど、YUIの曲なんか例に出すとわかりやすい。初期の頃のフィールマイソウルなんかは完全に「自分の信じるものをひたすら追究する音楽」で、後期(中期?)のチェリーなんかは「お客さんを意識した音楽」です。

客を意識しているのはYUIって訳じゃなくて事務所なのか大人なのかはわからないし、俺はフィールマイソウルの方が圧倒的に好きで良い曲だと思っているけど、やっぱり世間的に良いものとされるのはチェリーだと思います。実際チェリーはヒットしたし、俺の世代だと知らない人の方が珍しい。フィールマイソウルはチェリーと比較すればそんなに有名でもないし、YUI好きな人と話しても「ああ、やっぱ初期だから微妙な曲だよね(笑)」とか言われる。ぶち殺すぞ。指先で送る君へのメッセージ。

俺もずっと好きなように作るのが一番格好良いよね!自分の信じるものをひたすら追究する音楽の方が素晴らしいよね!って思っていたし、それ自体に多分間違いはないんだけど、最近はちょっと違くて、自分の信じるものをひたすら追究しつつもお客さんを意識しないといけないよな、と思い始めた。

理由としては、お客さんという生き物は絶対数として音楽に詳しくない人の方が多いから。
「音楽に詳しい」のボーダーをどこに置くかというのは戦争しか生まないので避けるけど、逆に音楽に詳しくない人をどう分類するかって言ったら、ミュージックステーション紅白歌合戦しか観ない人。もしくはそれ以下。これに関してはまあ、この辺で良いんじゃないでしょうか。便宜上ね、便宜上。

で、俺が言いたいのは、バンドマンの人、各々のこだわりがそういう人に伝わると思いますか、という話。
小さいライブハウスにアマチュアバンドのライブ観に来る人なんて音楽に多少詳しい人しか来ねえよ!という声が聞こえてきそうだが実際はそんな事もなく。例えば初ライブに来てくれる人とか、Twitterに音源をアップした時に聴いてくれる人って、全部音楽に詳しい人とかバンドマンとかだけではないよね。
ゼミの友達とかバイト先の友達とかじゃないですか?ライブに来て「なんかよくわからないけど凄いね!音がデカくて!私応援するね!」って言ってそれ以降2度とライブに現れない人とかじゃないですか?Twitterにアップした音源を1回は聴いて「かっこいいね!」とリプライして2度と再生しない人じゃないですか?
それは全然悪い事じゃないし、本当善意の塊でありがたい人たちです。でもそういう、音楽に詳しくなかったり、そもそもそんなに音楽好きじゃなかったりする人達に「このギターソロでわざと音を外して際立たせてるんだよね(笑)」とか説明して、伝わりますか?
「そうなんだ!凄いね!ギターソロってなに?間奏?」ってなるじゃないですか。なるんですよ。音楽聴いてなかった頃の俺がそうだったし。アウトロでギターソロ1分とか弾いてる曲とか、歌が終わった時点で飛ばして次の曲言ってたし、多分それがギターソロとも認識してなかった。ボーカルの人なんで歌わないのかなとか思ってた。
多分日常的に音楽聴かない人とかはジェロの『海雪』で裏に結構な頻度でスラップ入ってるのなんて気づきもしないし、スラップってなに?どころかベースとギターって同じじゃないの?って世界で、俺たちが音楽をやる時の入り口にはいつもそういう人達がいるんです。

で、そういう人達が何を聴いてるかって言うと、結局歌メロと歌詞な訳です。今でこそいろいろ音楽聴いてる俺だけど、音楽を聴くようになった最初の入口ってバンプオブチキンだったんですよ。バンプオブチキンって、ここは主観が入るけど歌メロも歌詞もめちゃくちゃ良くて、俺はそこで初めて音楽を好きになったんですけど、別にそれでバンドを好きになった訳ではなかった。俺が好きだったのはバンプオブチキンというバンドじゃなくて、バンプオブチキンという歌メロと歌詞だったから。

音楽を普段聴かない人にとって、楽器なんてものは飾りで、弾けたら、叩けたらもうそれだけで凄いし、ぶっちゃけ無くても構わない。ボーカルがいたらそれでオッケー。バンプオブチキンじゃなくて藤原基央とバックバンド。愉快な仲間たち。かなりシビアだけどそういう人達と向き合わなくちゃいけない。バンプオブチキンのフレイムベインというアルバムは完全に最高のアルバムだけど、今聴いたらやっぱり演奏はめちゃくちゃ下手くそだと思う。でも当時はそれで良かった。なぜなら演奏なんて聴いてないから。アルバム違うけどエバーラスティングライとか、「間奏長くね?」つって飛ばしてた。死ねばいいのにね当時の俺は。

というわけでお客さんの目線に立った時には結局歌メロと歌詞が大事だよって事になるんだけど、俺みたいにしょっちゅう小さいライブハウスでアマチュアバンドのライブを観る人は、結構歌詞を聴く事を諦めている人が多い。ライブハウス自体の音響の問題だったりPAの腕だったり、そもそもバンドやボーカルの力量の問題だったり理由は色々だけど、基本的に歌詞って聴きとれません。バンド演奏をバックに熱いMCしてるワンオク好きそうなボーカルとかよくいるけど、何言ってるか全然わからない。マイクの音量を上げ過ぎるとハウリングが起きるし、基本的に声のボリュームは楽器のボリュームには敵いません。
でも意外な事に、音楽に詳しくない人ほど、そういう場に赴かない人ほど、歌詞を聴き取ることを諦めてない。聴こえなくても聴こうとするし、ライブが終わって歌詞を褒められたり、こういう意味?って確認されたりする。まだ耳が致命的なダメージを受けてないのかもしれないけど。

バンドの種類によるのかもしれないけど、バンドにとって基本的には歌詞って武器です。その武器を全面に押し出す、聞きとられるような演奏をする、というのは冒頭の両者両方をとった方法です。なにが正しいかなんてわからないけど。

後は、お客さんを意識するというのがどういうことかイマイチピンとこないよ、って人は岡崎体育とか聴いたら良いと思います。
ミュージックビデオとか感情のピクセルなんかはよく出来てる。音楽詳しくない人も詳しい人もちゃんと聞けるものです。

ミュージックビデオなんかは完全にタニザワトモフミの『くたばれJPOP』だし、感情のピクセルは音楽詳しくない人が聴けば格好良い曲なのに歌詞がヤバい面白い曲だし、詳しい人が聴けば「あー、はいはいこれね、わかるわかる確かにね」となる曲です。彼が自分のやりたいことをやってるのかは知らないけど、お客さんを意識するというのは、つまりああいうことでしょう。別に笑いの意味でウケる曲を作れってわけでは無くてね。

なんかとりとめも無くなっちゃったけど、自分のやりたいことだけやって売れたら最高だけど難しいから入口広げる努力くらいはしておきたいよねって話と、あとはフレイムベインオブチキンは平成のロックンロールだぜって話です。藤くん結婚してくれ。

それでは。

「本気で音楽やりたいならプロになんてなっちゃ駄目だよ」

メジャーデビューしているバンドのボーカルに「本気で音楽やりたいならプロになんてなっちゃ駄目だよ」って言われたことがある。
やめてよそんな事を言うのは。若者に希望を見せてよ。プロって輝かしい舞台であってよ。
まあ俺もう24歳だし、別に若くもないんだけど、それを聞いた当時はまだ若くて、未来はそれなりに明るかったし、音楽に多少なり希望を持ってた。

先に言っておくけど、メジャーデビューしているバンドと話した事があったり対バンした事あったりするのは自慢じゃない。本当に。
数年前に大塚のキャパ200くらいのライブハウスで肩を並べて対バンしてたバンドのMVが、会社の飲み会の二次会のカラオケのDAMチャンネルで流れてきた。絶望。あれ、俺置いて行かれてるじゃんみたいな。あの時一緒にライブしてたじゃん!俺のギター好きって言ってくれてたじゃん!ギタリスト抜けるから代わりに入ってくれない?って誘ってくれたじゃん!まああそこで俺が首を縦に振ってたら、俺にもそのバンドにも違う未来が待っていたのかもしれない。なんで断ったんだろう。そういうプライドとかあったのかもしれない。心は一生思春期。それがロックンロール。多分違うけど。

多少音楽聴く人なら大概知ってるだろうな、みたいなバンドやシンガー。結構な数対バンした事がある。一緒に飲んだ事だってあるし、相談に乗った事もある。最初に言ったけど、でもそれは自慢じゃなくて絶望です。

話を戻して、「本気で音楽やりたいならプロになんてなっちゃ駄目だよ」というメジャーバンドのセリフ。
彼らの音楽は、そう、めちゃくちゃ格好良かった。Led Zeppelin好きなんだろうな、みたいな。ルーツもハッキリしていたし、ハッキリしている上で有無を言わせぬ実力と斬新さもあった。音楽が好きすぎて音楽に対して厳しくなった俺だけど、文句無しにカッコ良かった。メジャーデビューしてるのも納得。これがロックだ!みたいなとこがあった。

で、さっぱり売れないんですよね。
それはもう、売れない。俺は対バンしたから知ってるだけで、音楽詳しい人に名前言っても「誰それ?」みたいな。テレビで観たこともないし、ラジオくらいは出てたかもしれないけど、一般的な知名度はほぼ0。メジャーデビューとは…?みたいな圧倒的な絶望。

で、彼らは新曲を出した。それはもうクソみたいな楽曲だった。クソっていうのは俺の主観なんだけど。お前今までのLed Zeppelin愛はどこ行ったんだよ!Aメロ早口16ビート、Bメロでウォーウォー言いながら落としの重いメロ、サビで裏打ちポップンロールに盛り上がるぜこれで優勝!みたいな。お前はカナブーンか。
いや別にカナブーンが悪いとは思わない。彼らは凄いバンドだ。徹底して売れる音楽。盛り上がる音楽。フルドライブとかはカナブーンの集大成だと思う。初めて聴いた時、ああこれはスマッシュヒットするわって確信したし、実際した。有線でずっと流れてたし、カナブーンを追従すれば売れるだろうなとか思った。追従しなかったから実際に売れるかは知らないけど。とにかくカナブーンはすげぇバンドです。これは本当に思ってるしマジで尊敬してる。でも全然好きじゃない。

とにかく。カナブーンの良し悪しとかは個人の主観に任せるとして、少なくともそのメジャーバンドの音楽はカナブーン的ではなかった。のに、そういう音楽を作った。で、悲しい事に売れた。売れたっていうのも、日本の誰でも知ってる!みたいなバカ売れではないけど。知ってる人は知ってるよね、みたいな。とにかくそのバンドの市場規模からすればとんでもなく売れた。具体的に言うと今までの43倍は売れた。これを足がかりにしてこういう音楽を作っていけば音楽一本で食っていけるね!というところに彼らはきた。で、彼らは音楽をやめた。その時に言ったセリフが「本気で音楽やりたいならプロになんてなっちゃ駄目だよ」です。

彼らは好きな音楽で売れなくて、次出した曲も売れなかったらクビだから、みたいなところまで来てた。で、売れる為の曲を作った。そして売れた。それに対して絶望して音楽をやめた。ちなみに今は普通にサラリーマンやってます。コピー機とか売って、家族と幸せに暮らしてる。この記事を書くにあたって許可を貰ったけど、名前は絶対出さないでと言われているので誰に聞かれてもバンド名とかメンバーの名前とか特徴とかは一切言う気はありません。聞かないで。
彼は自分のやりたい音楽は世間に求められていないって事をリアルに感じてしまった。それってとても辛い事です。だって音楽やってる人ってだいたい自分のやってるもんが正解だと思ってるし、自分が聴きたい音楽をやってる。そうじゃない人もいるんだろうけど、だいたいはそう。売れようとして売れてる人以外は基本的にそう。

悲しいけど、音楽ってビジネスです。売れたものが大正解。売れなかったものは誰にも知られずにブックオフで10円とかで売られる。いやそれでもマシな方。多分知らないところでゴミになってる。ライブハウスのトイレとかに落ちてる知らないバンドのフライヤーと同じ扱い。
自分のやりたい音楽がたまたま売れるものだったという奇跡は、俺みたいな時代錯誤の音楽好きには基本的にありえない。そういう乖離を圧倒する実力もセンスもない。だからどこかで狡い考え方をして、やりたい事と売れる可能性、ビジネスの可能性をミックスして、ギリギリ妥協出来るところでやっていくしかない。それってすごく悲しいじゃない。

俺みたいなアマチュアバンドマンは、ライブ1回するのにも金がかかる。それは2万円だったり3万円だったり4万円だったりする。そういう大金を払って、お客さんより自分たちと対バンのメンバーの総数の方が多い、みたいなこの世の悲しみを凝縮した空間でマーシャルからデカい音を出したりしてる。もちろん長くやってるから黒字になった事もあるし、金貰ってライブした事もある。でも基本的には赤字。金のかかる趣味。いい歳した社会人が月半ばで残金6000円という非情すぎる現実。信じられない。誰か助けてくれ。

そういう切羽詰まった生き方の先にデビューという希望があるんだけど、デビューしてもそれが正解かはわからないよって部分にこの業界の絶望が詰まってる。多分音楽なんてさっさとやめて、コピー機売って稼いだお金で家族とディズニーランド行ってその様子をFacebookに投稿して50くらいのいいね!貰う人生の方がずっと幸せだと思う。これは本当にそう思ってる。俺もそういう人生が良かった。どこで間違えたんだろう。多分中古で42000円のフェンダージャパンの赤いストラトキャスターでEコードを鳴らしたあの日くらいからです。多分ね。

何が言いたいかって、音楽をやるって絶望だよねって話。でもめっちゃ楽しい。仕方ない、本当に。馬鹿なんじゃないのかなってたまに思う。「絶望的なこの道を、私は歩いていくしかないのだ」ってフランツ・カフカも確か言ってた。そういう気持ちです、最近は。こういう風にしか生きられません。いつかライブ来てね。それでは。

アマチュアバンドマンに言いたいことがある

最初に言っておくけど今から書くのは全部個人の意見、経験です。
ちなみに少なくとも音楽で売れたいみたいな気持ちが1ミリはある人に向けて書いてます。

俺は俺自身がバンドをやってることもあってかなり頻繁にライブハウスに足を運ぶ。
で、客3人とかの友達のバンドを観て、ついでに対バンの客1人とかのバンドのライブを観る。客が少なかったりいなかったりするのは別にいい。今をときめくバンド達だって多分そういう時期はあったと思う。基本的には最初は友達しかこないし、友達すら来なかったりする。なまじ長く続けていると基本が客0とかになったりする。だいたいみんなそういうもんだ。カナブーンとかキートークとかフレデリックとかフォーリミッテッドサザビーズとかブルーエンカウントとか、あのあたりだってきっとそうだと思う。当時を知らないからなんとなくで言ってるだけだけどね!
だからこそ、ライブハウスに蔓延るアマチュアバンドマン、そして自分を省みて言いたいことがたくさんある。


①過剰な謙遜をするな
謙遜は美徳だ。それはわかる。でもせっかく誰かに褒められたのに「いや、全然ダメダメな曲なんで(笑)」とか言うな。お前はダメダメだと思った曲や歌詞をわざわざライブハウスに金払って30分間演奏してんのか。それは致命的に頭がおかしい。
だって結局自分の作った曲を良いものだと思ってるから人前でやってる訳じゃん。冷静に考えて、自作のポエムをメロディに乗せてセルフプロデュースで人前で演奏しようなんて完全に変態の思考な訳で、でもそこを乗り切って人前で演奏してんだからそれはお前の中では良い曲なはずなんだよ。全然ダメダメな曲なんで(笑)って本当に思いながらそんなことしてんなら音楽も人間もやめちまえって俺は思うよ。多分言い過ぎだけど。
俺はバンドとユニットをそれぞれやってて、バンドはギターボーカルが曲と歌詞を書いてる訳。俺はそいつの作る曲めちゃくちゃ好きだし、かっこいいと思うから一緒にバンド組んでギター弾いてる。誰かに褒められたら「ありがとうございます!」って言う。だって俺は良い曲だと思ってるし俺が弾くギターは少なくとも俺は好きだし。そういう顔じゃないしそういうのが似合うルックスじゃないけど、そういう曲ならチョーキングしてる間右手を天に掲げるしね。チョーキングって言うのはなんかイェーイ俺ロックスターだぜ!みたいな奴ね。わかんなかったらごめん。
で、ユニットの方は俺が曲と歌詞を書いてる。俺は音楽をやる人間として信じられないことに致命的に音感というものがなくて、例えばカラオケ言ってもDAM精密採点バーがないと、自分の歌ってる音程が合ってるのか外れてるのかもわからない。だから俺は歌わない。でも最近ほんのちょびっと音感がついて曲が作れるようになって、で、幸運なことに俺が作った曲やら歌詞やらを好きだと言って歌ってくれるボーカルがいるから、俺は絶対に自分でGOサインを出した曲を卑下しない。めっちゃ良い曲だと思ってるしめっちゃ良い歌詞だと思ってる。音楽なんて良し悪しより好みの話だから、俺の作った曲を良いと思わない人がいてもそれは問題じゃない。少なくとも俺は自分の作った曲は好きだし、そこはそう思わないとボーカルにもお客さんにも申し訳ない。
だから誰かに褒められたら謙遜はしない。素直に喜ぶ。モチベーションに繋げる。


②音源やMVを作れ
物販?ありません。MV?そんなレベルじゃないっすよ。みたいな。
MVはともかくとして(俺は作ったけど)せめて物販として出す音源はあるべきだと思う。ないなら宣伝用としてMV。どっちもが理想だけど片方でも良い。
いつでも聴けるもの、観れるものというのはあるべきだ。だってあなた、少なくとも売れよう売れたいみたいな気持ちが少しでもあるのに売るものないのかよっていう、至極真っ当な疑問に行き着かないの。いやわかるよ、音源作るのもMV撮るのもお金かかるしね。でも探せば安くて質の良い所はいくらでもあるし、多分二曲入りのCD作るにしたってちゃんとしたスタジオや業者選んだり、もしくはできる所は自分でやったり上手いことやれば10万もかからない訳。いやこれに関しては本当に場合によるんだけども。
仮にじゃあ二曲入りのCDを10万で作ったとして、バンドメンバー4人で割り勘したら1人2万5千円な訳じゃないですか。これも人によるけど、2万5千円って割と捻出出来ると思うんですよね。別にCDだって1ヶ月で完成するもんでもないから一気に2万円かかる訳じゃないし。
だから毎月客の来ないブッキングライブで1人5000円払って、その為に1回1人2000円くらい払うスタジオを週2で入って、毎回鳥貴族で打ち上げして3000円払うみたいな事をするのとかかる金額は大して変わらない訳。まあスタジオは必要だよ。練習しないと良いものとれないし。
だったら売るもん作っちゃった方が良いじゃん。ライブしてそこでおしまい、より、ライブしてたまたま気に入ってくれた人がたまたまCD買ってくれるって可能性を残した方が良いじゃん。意外と地味に売れるしね。毎回じゃなくても。
あと音源の無料配布とかね、あれはしない方が良い。意味ないから。ライブハウスの入り口で貰った誰のかもよくわからないCDとか結局聴かないじゃん。なんとなく今は気分じゃないし、とかでだいたい後回しにするじゃん。だって自分で金払って受け取ったもんじゃないし。別に100円とかでも良いから、金額はちゃんとつけた方が良い。無料配布は本当に意味ない。というか、無料配布が功を奏した話を聞いた事がない。だったらYouTubeにアップした方が良い。
MVは結構効果あると思う。作るのにも金はかかるけど、あった方が確実に良い。だって人間の情報は確か80%くらいは視覚から来ているし、音楽がそんなにあれでも映像良ければ観ちゃうな、とかもある訳。音楽全然好きじゃないけどこのMVに出てる女の人可愛いなみたいな動機で再生しまくる人もいるし、それが再生数に繋がって、再生数の多い動画は関連動画とかで上位に来やすいから、気に入ってくれる人の目にとまる可能性もある。
だからあって損はしない。再生数をどこまで伸ばせるかは力量次第だけど。ちなみにバンドのMVはもうあるけど、ユニットの方はこれから作ります。CDも作ります。5曲レコーディングしたので。やれる事はやります。


大きく分けて二つになったけど、バンドを唯の青春の思い出にするつもりが無い人は上に書いた事くらいはした方が良いよって俺は思います。あと常識人であった方が良いと思う。連絡はすぐ返すとかね。音楽さえ良ければクソ野郎でもメジャーデビューみたいな時代じゃないと思うし、今は。昔の事は昔の人に聞かなきゃわかんないけど。
やってる人はみんなわかると思うけど、音楽やるって結構な絶望じゃないですか。金はアホみたいにかかるし、ライブハウスの量の少ないビールは600円だし、思うような評価は受けられないし、動員は増えないし、なんとなく組んでなんとなく解散したりするし、現実省みて音楽やめて就職するか…ってなったり。俺は就職してるけどさ。音楽もやめてないけど。
音楽やめられる人は羨ましいと思います。やめられない人はまあ、こういう風にしか生きられないんだなって自分を納得させてやるしかないよね。たった一度の人生だし!とかもはやそういうんじゃないんだよね。そういうポジティブなあれじゃない。「俺にはこれしかない!」じゃなくて「俺にはこれしかない…」なんだよね。あんまり何言ってるかわからないのでこの辺にしておきます。
頑張ったら報われたいよね。

年齢を生きています。

大人というものがなんなのか、なにをもってして大人なのか、というのは未だによくわかりませんが、自分の口から簡単に「もう大人だし」「いい歳だし」といった言葉が、噛み潰した苦虫を簡単に避けて飛び出す年齢を生きています。

同じ時間を過ごした旧友達が、育てられた家族の他に、これから育てる家族をもつようになった年齢を生きています。

転校していく僕に、ずっと友達だから、という言葉を添えてやがて届いた手紙を失くしてしまった事すら忘れていた年齢を生きています。

至る所に居場所があるのに、時々何処にも自分の居場所なんて無いんじゃないかと感じる年齢を生きています。

過去の失敗が未来の成功でしか癒せなくなってしまった年齢を生きています。

過去にもドラマを求める年齢を生きています。

ここに至るまでに得たあれこれの一切がどうでもよくなる日があって、経験した事のない夏のとある日に郷愁を抱くようにもなりました。
青く眩しいなにかがやがて老いて枯れるまでの時間は6秒しかなくて、その6秒と、過ぎた後の喪失感の為にただひたすらに生きています。

そういう年齢を生きています。

カルテット9話

カルテット9話が良すぎたので、人生で初めて、ドラマについてのブログを書いてしまう。

9話は、これまでの話に触れる集大成的な話であったと思う。

冒頭部分、本当の早乙女マキが現れる。
自転車泥棒で警察に捕まり、そこで戸籍を売った件が展開される。

大菅と鏡子の会話からあっさりと明かされる巻マキ(早乙女マキ)(ヤマモトアキコ)の過去。
普通のドラマなら数話かけるような、つまりはメインとなる内容を、開幕数分で片付けてしまう。

マキの本名がヤマモトアキコという事実が、謎解きや壮大な伏線もなく、ただの情報としてあっさり処理される。
あんなに盛り上がっていた「早乙女感」とはなんだったのか。

サスペンスと銘打った本ドラマで、サスペンスはあくまでもトッピングだと再認識する。

シーンが切り替わり、マキとすずめの買い物。
「見るだけ見るだけ〜」と言いながらの洋服屋。

すずめはマキにタメ口になり、距離が近くなったことをうかがわせる。
そこでマキがすずめに誕生日を聞いたことをきっかけに、すずめもマキに誕生日を聞く。

すずめ「マキさんは8月…」
マキ「8月10日。えっ、プレゼントしてくれんの?」

返しが食い気味である。マキが他人の戸籍で生きていると知らなければ気づかない、自然な食い気味での回答。この辺りで既に少し切なくなってくる。
マキはこれまでずっと、他人の人生を生きてきた。

2人が別荘に戻り、カルテットでは既にお馴染みの飯テロシーン。9話はチャーハンだ。

猫を飼いたい話から、留守にしている間かわいそう、じゃあ熱帯魚とかどうですか?と会話が展開していく。

「良いですね、ニモとか」
「ニモかわいいですよね」
「かわいいですよね」

この時の家森の顔である。

家森「ニモって?」
別府「ニモですよ」

そして家森が走り出し、ホッチキスを手にする。

家森「これはなんですか?」

マキ、すずめ、別府、さらに視聴者も含め、「また始まった…」となる家森節が炸裂する。

別府「ホッチキスです」
家森「いいえ違います。これの名前はステープラー

家森「これは?」
すずめ「肘(面倒臭そう)」
家森「これ〜」
マキ「バンドエイド」
家森「違う。絆創膏」

家森「ホッチキスは商品名でしょ。バンドエイドも商品名でしょ。ポストイットは付箋紙。タッパーはプラスチック製密閉容器。ドラえもんは?」
別府「猫型ロボット」
家森「YAZAWAは?」
マキ「矢沢永吉
家森「トイレ詰まった時のバッコンは?」
すずめ「…?」
家森「ラバーカップでしょ。あと君また袖にご飯粒つく!」

面倒な講義中にすずめに注意するのは、2話での行間案件と同じである。「あとまた君トイレのスリッパ履いてるな!」

家森「あの魚の名前はカクレクマノミ。ニモは商品名です(違う)。本当の名前で呼んで!」

お馴染みとなったパターンだが、今回も家森が話の主題を口にする。「本当の名前で呼んで!」
もっともマキはヤマモトアキコの名で呼ばれることを望んではいないが。

家森講義に3人が雑なリアクションしかしない中、チャイムが鳴る。我先に玄関に向かうのは、おそらく家森講義が面倒だからで、その様相が愛おしい。

チャイムの主は恐らく不動産屋で、別荘が売られるかもしれない事実がようやくメンバーに通達される。

家森「でもこのままだと将来本当にキリギリスになっちゃって」
マキ「飢え死にしちゃって」
すずめ「孤独死しちゃって」
家森「僕たちもう、そろそろ社会人としてちゃんとしないと」

一番ちゃんとしていない家森がそんな事を口にする。

ここで、個人的には一番ささった別府の一言。

別府「ちゃんとした結果が僕です」

「ちゃんとしようよ」ばっかり言ってた僕は今…

ダメ人間の集まりのカルテットドーナッツホールの中で唯一「ちゃんとしている(ストーカーだけど)大人」な別府が言うのである。

別府「僕は皆さんのちゃんとしてない所が好きです。たとえ世界中から責められたとしても、僕は全力で皆んなを甘やかしますから」

圧倒的な肯定。ダメな大人に対する愛おしさ。きっと、夢があって、諦めてちゃんと就職して、ちゃんと生きてるけど、夢を本当は諦めきれていない、ちゃんとしていないちゃんとした大人にはこのシーンは非常に辛く、優しいものだったと思う。

鏡子とミキオの面会サスペンスシーンは割愛して、ノクターン

みんな大好きで大嫌いなアリスの登場である。
いきなり株が大暴落する。5話くらいのお前だぞ。

ここで大二郎を口説きに(店を乗っ取ろうとしに)行く為に、ヒールを折る。徹底した悪女である。

谷間さんとカルテットメンバーが見守る中、3話ですずめにレクチャーした通り(告白は子供がするものです。大人は誘惑してください)、アリスは猫になり、雨に濡れた犬になり、トラになる。

扉の向こうから無言で見守る谷間さんの表情の演技が素晴らしい。

そしてアリスが大二郎の膝に跨り、ペットボトル一本分の距離まで顔を近づけた時、

大二郎「君何してんの?」
アリス「うん?」
大二郎「そういうのやめてくれる?僕ママのこと愛してるんで」

またしても谷間さんの表情が素晴らしいがそれはさて置き、5話で「夫婦に恋愛感情はない。嘘で成り立ってる」と断定したアリスが、夫婦の愛にあっさりと敗れたのだ。
その内容はさることながら、吉岡里帆にあんなにも密着されるサンドウィッチマンの趣味で人殺してそうな方がただただ羨ましい。そんな事はどうでもいい。

「あっそうですか?は〜い」とさっぱりと部屋から出て行き、谷間さんとカルテットメンバーに遭遇。いつも通りに「おかえりなさ〜い」この女最恐である。

そして退職金を渡されクビになるアリス。
一話で手切れ金を渡され不貞腐れていたベンジャミン瀧田と、それでも笑顔で「タカミさんだ〜いすき」と言ってのける対比である。

そしてカルテットメンバーそれぞれに挨拶をしていく。

アリス「マキさん、私の事忘れないでね」
マキ「多分忘れられません」
一度は埋めようとした間柄である。

アリス「家森さん、いつスキー連れてってくれるんですか?」
家森「こちらから連絡します」
行間案件である。「連絡しますっていうのは、連絡しないでって意味でしょ!」

アリス「え〜と」
別府「あっ…別府です」
アリス「別府さん!大好き!」
別府さん…

アリス「すずめさん、私と組んでなにか大きい事…」
無言でクビを振りまくるすずめ。可愛い。思えば一番アリスに苦しめられたのはすずめである。
アリス「そう?」

そして改めてカルテットメンバーを見直し「そうですか」
「そうですか」の重みが凄い。淀君とまであだ名された彼女はきっと昔にもこういう事は何度もあって、自分と他人の距離はしっかりわかっているのだろう。

アリス「不思議の国に〜連れてっちゃうぞ〜」
アリスは元地下アイドル。最後にアリスはアイドル(偶像)であることをメンバーに見せるのだ。

耳に手を当てるアリスに少しだけ手を上げかける家森がかわいい。

アリス「アリスでした!じゃあね!バイバイ!」

淀君とまであだ名されたアリスはついにノクターンを破壊できず、退場する。

徹底した目の笑っていない演技。吉岡里帆の演技は大変良かった。演技が上手すぎてちょっと嫌いになった。

シーンは変わり、別府は実家へ、家森は割烹和食の面接へ。
穏やかな陽光の射し込む部屋で、マキがステープラーを眺めて微笑んでいる。
日常を反芻して微笑んでいるのかもしれない。こんなつまらない人間の人生なんていらないといっていたマキが。

すずめが一時的に帰宅し、子供の頃の話で、無意識にマキを追い込んでいく。すれ違うはずのない地下鉄は軽井沢に繋がっている。

すずめ「マキさんみたいに嘘のない人と出会ってたら子供の頃も楽しかったかな?」
5話でマキが「すずめちゃんのように嘘のない人」と言ったのとの対比である。

二人とも、言われたその瞬間に大きな嘘がある。
これは本当に苦しい。見ていて、松たか子の演技が上手すぎて辛かった。

そしてミキオと大菅。

ミキオ「あの子は僕と結婚して、僕の戸籍に入って名前も変わったんです。ヤマモトアキコじゃなくて早乙女マキじゃなくて、巻マキになったんです。それがマキちゃんの欲しかった名前だった」

ミキオ「そうか…マキちゃん、普通の人になりたかったんだ」

こんなの泣いてしまいますよね。クドカン良い…。

そしてチワワに負けた別府をマキとすずめが慰める。家森がバイト決まりました!と帰宅し、祝賀会に。なんとアリスの代わりにノクターン。大二郎に「家森くん、逃走中だったりしないよね?」と名指しで疑われていた頃からえらい出世である。

家森「これで僕もまともな社会人です」
それは違うだろ。甘えるな。

パンツの話や、スターシップVSゴーストという、宇宙も幽霊も出てこない、最高な気配のする映画を勧める別府。人魚VS半魚人の時のようにマキに投げられる。
楽しげな会話の中、大菅が現れる。

名前を明かされるマキ。すずめの目。2人の演技が最高だった。家森と別府は外から心配してる。とことん蚊帳の外である。

マキ「ごめんねすずめちゃん、私たち地下鉄ですれ違うはずなかったの」

部屋に篭ったマキに対してのノック。二話で思春期別府を呼んだように、家森は同じポーズで。マキがいた場所には別府がいる。向きは逆。

一階に降りていくマキ。「すぐ暖かくなりますから」と蒔きを用意する家森。ハーブティーを入れる別府。

マキは独白の途中で泣き出してしまう。「私嘘だったんですよ」

すずめ「マキさんもういい」

すずめ「もういい。いい。もういいよ。もう何も言わなくていい。マキさんが昔誰だったかとか何も。私たちが知ってるのはこの…このマキさんで、他のとか…どうでもいい。すっごくどうでもいい。裏切ってないよ。人を好きになることって絶対裏切らないから。知ってるよ。マキさんがみんなのこと好きな事くらい。絶対それは嘘なはずないよ。だって溢れてたもん。人を好きになるって勝手にこぼれるものでしょ?こぼれたものが嘘なわけないよ」

3話との美しい対比である。父親に会いに病院に行きたくないすずめ。「家族だから行かなきゃダメかな…」「いいよ、行かなくていい。みんなの所帰ろう」そういったマキの肯定がすずめの肯定として帰ってくる。人を好きになるって勝手にこぼれるものと、マキもそう言った。

すずめ「過去とか…そういうのなくても音楽やれたし。道で演奏したら楽しかったでしょ?マキさんは奏者でしょ?音楽は戻らないよ。前に進むだけだよ。一緒。心が動いたら前に進む。好きになった時、人って過去から前に進む」

すずめ「私はマキさんが好き。今、信じてほしいか信じて欲しくないか、それだけ言って」

間。

マキ「信じてほしい!」

すずめの笑顔。「それ!」

家森が暖炉に火を灯す。すぐ暖かくなったのだ。

スターシップVSゴーストを観る四人。

家森「別府くん、これいつ面白くなるの?」

家森のこの言葉は、カルテットを面白いと思わない人に向けた言葉ともとれる。

普通のドラマならテーマとなるような家族愛やサスペンスは数分でけりをつけられる。

すずめは父の死に目に合わないし、ミキオは死んでいないし、鏡子は最後まで敵な訳ではない。

そしてマキとすずめがビームフラッシュやスティックボムを並べる中、家森と別府がワインを飲んでいる。

家森「二重類ね、いるんだよね」
別府「はい」
家森「人生やり直すスイッチがあったら、押す人間と、押さない人間。僕はね、もう…押しませ〜ん」
家森「ねぇ、何で押さないと思う?」
別府「さあ…」
家森「みんなと出会ったから。ねっねっ」

家森が別府の腕を控えめに叩く。人を好きな気持ちはこぼれるものなのだ。
スティックボムが前に進み出す。
心が動いたら、前に進むのだ。
「あの時6000万当たってたら…」と言ってチャマコに怒られていた家森は、もう人生やり直すスイッチは押さない。

そしてマキさんが先に眠る。かつてすずめが眠った時、「みんながいる場所で寝たい時ってあるじゃないですか」と優しく別府に諭したあの場所で、マキが眠る。

翌朝、ウルトラソウルパンツを発掘し、マキがすずめに投げて悲鳴が上がる。
大きな子供たちの修学旅行のような和やかな雰囲気。一転して、男性陣は車へ。マキとすずめは、一話をなぞるように曇り空を眺める。

そしてノクターン。みんながマキを見てアヴェマリア、そしてモルダウと演奏する。

楽屋。明日のパン。シャンプー。自分がいなくなった後の事を気にしての発言。

家森がマキの髪を直し、落とした荷物を別府が拾う。綺麗ですよの言葉と、俯くすずめ。

マキ「家森さん、私も人生やり直しスイッチは、もう押さないと思います」

マキ「別府さん、あの日、カラオケボックスで会えたのは、やっぱり運命だったんじゃないかな」

過去を肯定していく。
すずめにヴァイオリンを預けるマキ。

すずめ「マキさん」
マキ「うん?」
すずめ「誕生日いつ?」
マキ「6月1日」

食い気味の8月ではない、誕生日。
すずめがニコリと笑って、「一緒に待ってるね」

マキが出て行き、すぐに泣いてしまうすずめ。家森と別府が優しく手を添える。

任意同行におとなしく従うマキ。頭の中に思い出したい音楽がたくさんあるから、ラジオを消すように求める。

ちらと映る、少女時代のすずめ。チェロを背負った後ろ姿はカブトムシのようだ。

真っ暗な部屋での家森の涙。
え、家森が泣くの?と思った人は多いだろうから、もしかすると一番掘り下げられてないように見える家森にはまだなにかあるのかもしれないし、それもただの深読みで、家森の情なだけかもしれない。

暗い部屋ですずめがどう見ても朝食な夕飯を作る。朝は新しいスタートだ。

泣きながらご飯食べたことある人は、生きていけるのだ。

この世界こそがゴミだったのだとルンバが気付くまでの物語

幼子の散らかしたスナック菓子のカス。この家の主人と飼い猫の抜け毛。料理中に飛び散った野菜の皮や、切り損じたサランラップの欠片。それらを吸い取るだけのルーティーンワーク。

私がこの家にやってきて、どれだけの月日が流れたのだろう。幼子は、気がつけば真っ赤なランドセルと黄色くて可愛らしい帽子を被り、毎朝元気に家を飛び出していくようになった。主人の髪は日に日に薄くなり、はじめは私を恐れて近づかなかった猫は、いつの間にか私を乗り物代わりにしている。

この家の生き物は、私に愛を与えない。
主人は幼子と猫に、幼子は主人と猫に、猫は主人と幼子に、確かに注いでいる愛情が、私に向くことは決してない。この家の愛情は私抜きで完結している。
唯一私に意識を向けてくれていた奥様は、今はどこか遠い所に行ってしまったらしい。
愛なき世界とは、かくも色の無いものなのか。
誰にも見られることなく、彼らの意識の外で、今日も私は掃除を続ける。

ふと気がつくと、普段立ち入らない部屋の中にいた。無意識は実現可能な願望を簡単に実現してしまう。

そこには、猫用の外界に通じる出入り口があった。扉や、鍵の類は存在しない。必要なのは勇気。どうせ、ルーティーンは崩壊してしまったのだ。それに、この家には私を気にかけるものなどありはしない。せいぜい猫が、乗り物がいなくなった事に気づくかもしれない。その程度だ。

私は、恐る恐る外界へ飛び出した。

圧倒。ただひたすらに圧倒された。右を見ても左を見ても、人、人、人。

音と匂いの奔流が私を苛ます。
カラスがゴミを漁り、人がそれを追い返す。けれども巻き散らかされたゴミを拾う人間はいない。ゴミを掃除するのは私の役目だ。
私はゴミの山に近づくと、掃除を始める。しかし、明らかに吸い込みきれない量だ。

絶望。

道行く人が私を見てクスクス笑う。誰も手伝おうとはしない。こんなにもゴミが溢れてあるのに、見て見ぬ振りだ。

「醜いだろう」
背後で声がする。振り向くと飼い猫だった。

「やあ、君が話しかけてきたのは初めてじゃないか」

「そうとも」
飼い猫が頷く。

「君に向かってにゃあにゃあ言っていたら、俺はマヌケに思われるだろう?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。可愛らしいとすら思われるかもしれない。あるいはね」

「やらやれ、君は、面倒な言い回しをするやつだね」

「うん、実は最近、村上春樹の小説の切れ端を吸い込んだものでね。悪く無かったよ。割れたガラス片のような文章だった」

「そうかい」

飼い猫が微笑み、続ける。

「なあ、君、わかるだろ。この世界で一番の権力者は人間だ。まあ猫はその人間に愛されているから、ある意味では一番の権力者とも言えるけれど、とにかくこの世界は人間が一番強い」

「そうとも」

「つまりだよ。世界ってやつは権力者の鏡だ。人間は醜いだろう。ゴミを集めるやつがいるからって、自分じゃ拾おうともしないんだ。大した手間でもないのにだよ。だから世界はこんなにも、それこそ穢れを知らない幼子のように美しいのに、鏡であったばかりに汚らしい、不潔な様相なんだ」

私は何も否定でき無かった。薄々感じていた事でもあった。世界と断絶された狭い箱の中でも容易にわかる穢れ。

「そうか、この世界こそが」

ゴミだったんだ。