Rock_ozanari’s diary

ノージャンル。音楽系はまあまあ多いです。

夏の終わりとミサイルと病室。

9月はまだ暑いし、だいたい10月もなんだかんだで暑い日が続いて、いったい夏の終わりってやつはいつなんだろうかと時々考える。

見上げた緑が紅や黄に染まった頃はもう秋と言っても良いかもしれないけれど、そこに至るまでの半端な季節はいったいなんだ。
俺はやっぱり夏っていうのは8月31日でおしまいだと思います。宿題終わったかみんな。大人は8月31日まで続く夏休みなんて無いから、急に慌てなくても済むんだ。いつも慌ててるからね。

8月29日にミサイルが飛んで、Jアラートなるものが鳴った。俺は仕事が休みだったからその警報を聞くことなくスヤスヤと眠りこけ、昼過ぎに起きて、友人から届いていたLINEでその事実を知った。
ミサイルがもし本当に(通過したのは北海道みたいだけど)東京に落ちてきていたら、きっと俺は死んでいたんだろうな、と他人事のように思いつつTwitterを眺めていると、ブロック塀の陰に身をひそめる老人や、校庭でしゃがみ込む子供達の写真が流れてきた。

その写真にぶら下がるリプライには「そんなことしても意味無いだろww」とか「それで身を守れると思うなんて日本人は馬鹿だ」と言った否定的な内容がぶら下がっていたけど、俺は生への執着ってすげえなって思った。

だって俺は多分、諦めるから。別に死にたい訳じゃないし、死ぬのが怖くない訳じゃない。でもミサイルが発射されて、警報が鳴って、近所から放たれた死が命中する迄の僅かな時間でとっさに身を守る瞬発力と判断力。そういうのが俺には足りていない気がする。

「うわー、ミサイル飛んで来るんだ。やべー。会社休みになるのかな」って思ってる間に死ぬ。きっとそう。子供の頃に何度もはだしのゲンを読んだけど、多分普通になにも出来ずに死ぬんだと思う。

とにかく、実際のところミサイルは日本には当たらなかった訳で、だから今日も平和に会社や学校が休みにならない事に文句を言ったりして、それって凄く平和で良いなって思った。
本当はミサイル飛んできてる時点で平和じゃないっていうのはもちろんわかってるんだけど、とにかく今日理不尽にまとめて命を奪われる事は無かった訳で、だいたいそれで良いんじゃないかなって思った。

父親は自殺しそうで強制入院させられて、友達は肺ガンだし、俺は利き手が動かせなくなるかもしれなくて、それでも今日は友達とスタジオに入って遊んで、居酒屋でビール飲んで餃子を食べて、生きてたら嫌な事たくさんあるけど、今日みたいな1日ならだいたいそれで良い。

夜に外に出てみれば少しは涼しくなっていて、夏ってやっぱり終わるんだという気がしてる。
もう夏休みの宿題に苦しむ事はないけど、あの日提出出来なかった宿題にまだ囚われているような感覚。昔のクラスメイトに再会してみれば話題は仕事と税金と結婚と最近脂っこいものが苦手になったって事で、伸びた髪や広くなった肩幅を寂しく思ったりもする。ああ、それは俺の知らない君達だ。

俺たちはもう誰かの見舞いや結婚式のような大きな理由がないと会わない関係になってしまったし、確実に大人になってる。
学区外に出る事を恐れて寂れたスーパーよりも向こうには絶対に寄り付かなかった俺たちはもう何処へだって行けるし、一つの場所から逃れられなくもなっている。
さくま書店で買ったパチモンのベイブレードの事だって多分思い出にしかなってなくて、俺を置いて大人にならないでよなんて口が裂けても言えなくて、記憶の糸を手繰って目の前に落とした楽しかった思い出を、清潔な病室で語り合う事にいったいどれ程の意味があるんだろう。
それでも夏は終わるし、俺は明日も仕事に行くよ。

虫を食べました


どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんですか?

不眠の夜勤明けの後用事があったのでそのままサイゼリヤでワインをそれはもうたくさん飲み、用事を済ませ友人と合流して3人でパイレーツオブカリビアンを鑑賞し、21:00。

もうだいぶ眠っていないので結構頭がおかしくなっていて、俺の口から「じゃあ飲みに行くか」という言葉が飛び出した。正気か?
8/10の朝6:00に起きて、今は8/11の21:00だぞ。ガストで突っ伏して眠った1時間半を除けばずっと起きてるのだけど、そこまで行くと人間は簡単に狂えます。むしろ元気。

基本的に俺は金が無いので、入る居酒屋を決めるポイントは「安い」「安そう」これに尽きる。
名前が既に安そうな居酒屋(チェーン)を発見した為、入店。こんなに薄利多売を全面に押し出したネーミングセンスってどうなんだよって感じの名前です。俺はそういうの好きだよ。

昭和テイストな店内はそれなりに賑わっていた。案内された席に着き、メニューを見た友人♂がカエルがあると口にした。

カエルって食べたことありますか?俺は何度か食べてるんですけど、ちょっとパサパサして味の薄い鶏肉って感じです。この店ってこういうゲテモノに分類されるもの置いてたんだなあと思いつつ、とりあえずコンビーフと餃子と食パンの耳揚げたやつとカエルを注文。俺はあまりメニューを見ないタイプの人間です。

飲み会は平和に進行された。俺たちは酒を飲み、飯を食い、仕事やめたくね?という話をしていた。いつもと何も変わらない、愛すべき日常。悲劇の始まりは友人♂の言葉であった。

友人♂「イナゴあんじゃん」
俺       「美味いよね」
友人♀「絶対に無理」

イナゴを絶対に無理、ゴキブリと変わらないと主張する友人♀にイナゴがいかにタンパク源として優れているか(本当に優れているかは知らない)を説き、同意を得る前にイナゴを注文。
なおもイナゴ食べたく無いと主張する友人♀に対し、友人♂がイナゴは味は佃煮だし確かに見た目は虫だけど美味しいから大丈夫、と主張を残し、トイレに去る。
ここが間違いだったのだが、俺は「確かにイナゴは見た目虫だけど余裕で食えるよ。さすがにイモムシ食えって言われたら発狂するけどね」

繰り返すが、俺はメニューを見ないタイプの人間である。
友人♀が断りなく店員を呼ぶ。「すいません、ざざ虫ください」

ざざ虫ってなに…?

友人♂がトイレから帰還し、ざざ虫が注文された事を知る。
「あれクソ不味いよ」
やめてよ。
「見た目とかもろイモムシだし」
やめてよ。
「なんか噛んだ時運が悪いとぷちゅって音するし」
やめてよ。
「変な汁が出てくるし」
やめてよ。

友人♀「そうなんだ、絶対食べたくないね」
お前なんで注文したんだよ。食べた事もない虫を注文できるバイタリティがすげえよ。

やがて運ばれてくるざざ虫とイナゴ。
ざざ虫マジかよ。もろイモムシじゃん。マジかよチェーン店の居酒屋。今の日本でここまでインスタ映えからかけ離れたメニューを提供するその姿勢はマジでロックだと思うけど、反骨精神じゃ飯は食えないんだぜ。ていうかこれ調理する厨房スタッフマジ可哀想。
ざざ虫がいつからあるメニューなのかは知らないけど、仮にバイトを始めた時には無かったとして、時が経って急に店長に「明日からざざ虫メニューに加わるからね」って言われたらもうそんなんバイト辞めるじゃん。冷蔵庫開けたらイモムシがぎちぎちに入ってる訳だよ。俺はこの居酒屋の厨房入った事ないけど、運んできてくれたお姉さんに聞いたから知ってんだよ。

俺「この虫冷蔵庫に入ってるんですか?」
お姉さん「入ってますよ」
俺「ギチギチですか?」
お姉さん「ギチギチです」

ちなみにお姉さんはざざ虫食べた事がないそうだ。懸命だと思う。考えても見てほしい。飽食日本で虫を食う必要が果たしてあるのか?無いだろ?なくせこんなメニュー。

普通に食べる勇気はないので、罰ゲーム式にする事に。なんか順番におじさんをタップして、ハズレ引くとおじさんが怒るという100%運要素しかないアプリをやる事に。説明下手か。とにかくおっさんが怒るんだよ。そういうアプリだ。わからなかったら調べてくれ。だいたい検索したら解決する世の中だ。

最初におじさんを怒らせたのは、友人♂だった。「マジかよ」って顔をしていた。凄いよ、表情から感情を読み取るどころか、文字が見える。顔面から「マジかよ」って文字列が滲み出てた。
彼はざざ虫を食べた事があるから、思い切りはまあまあ良かった。苦い顔をしてざざ虫を見つめ、口に放り込み、もっと苦い顔をした。苦虫を噛み潰したような顔って言い回しがあるけど、実際に苦虫を噛み潰してる。すげえ。実際に苦虫を噛み潰す日が来るなんて思って生きてないもんな俺たちは。
感想は至ってシンプルだった。

「まっず」

見た目が気持ち悪いならせめて美味しくあれよ。ナマコとかどう考えても食いもんじゃない見た目してるけどちゃんと美味しいのに、どうやらざざ虫はそうじゃないらしい。キモいし不味い。もうちょっと自分を見つめ直した方が良いんじゃないすか、ざざ虫さん。

次におじさんを怒らせたのは友人♀だった。
友人♀はそもそもがイナゴが無理なので、イナゴを食べる事に。人の嫌がる事はしたら駄目って小学校で習ったはずなのにな俺たちは。
嫌がる彼女に嬉々としてイナゴを食わせ、露骨にテンションが下がったのを見て爆笑する俺。あの時はごめんな。

そして次、いよいよ俺がおじさんを怒らせてしまった。もうすげえ怒ってる。怒りって他人事だとギャグだけど自分に向けられると恐怖なんですね。人間って失敗からしか学べないしね。

食べる勇気が出ない。

俺は本当に虫が無理で、中でもイモムシの類いは一番無理だから、凄く辛かった。見るのも嫌だ。友人♂が「俺が選んでやるよ!」と言いながらざざ虫を爪楊枝で刺す。それを俺に渡す。友人♀が「はやく食べて!」とヤジを飛ばす。ついさっきまでテンション下がってたのに元気になってんじゃねえよ。

とにかく、なるべく姿を見たくなくて遠ざけて持った。不思議だ。遠目で見ると、

俺「なんか昆布に見えるね」
友人♀「足生えてるよ」
やめてよ。
友人♀「うわ、触覚もある」
ぶっ殺すぞ。

もう昆布には見えなくなってしまったざざ虫。
ざざ虫よ、普通に生きてきただけなのに焼かれて食べたがってもいない人間に食われるお前の人生ってなんだ。家族だっていただろう。友達は。もしかしたら恋人だっていたかもしれない。俺には君を食べる事なんて出来ない。でも俺の対面に座っている友人ズが「はやくいけ!」とヤジを飛ばす。道徳の授業受け直せ。

友人♂「掛け声で行こう」
友人♀「なにがいい?」

お前らなんでそんなに楽しそうなんだよ。

掛け声が決定し、運命の時。

友人ズ「スリー!ツー!ワン!ゴー!シュウッ!!!」

ざざ虫 in 俺の口の中。
口の中にいつまでも居られるのも嫌なので、急いで噛む。

ぷちゅっ…

あっ、無理…

急いでビールを飲むが、味が消えなくてすぐに無くなる。一番近くにあったイナゴを口直しに食べる。ざざ虫の口直しにイナゴを食べるってどうなんですか?2017年の日本人として、それは?お母さん、貴女の息子は今池袋で虫を食べてます。

食感最悪。味も最悪。見た目も最悪。マカロンより不味い食べ物ってこの世界にあったんですね。ていうか君たちめっちゃ笑ってるけど夜勤明けの人間に対して罪悪感とかそういうの無いんですか。

虫の話を3000文字も書いて嫌な気持ちになってきたので簡潔に書くけど、その後も俺はおじさんを怒らせまくり、ざざ虫を食べまくった訳なんだけど、最悪な事に全員が避けて最後に取り残されたまるまる太ったざざ虫を俺が食べる事になった。そう、俺はまたおじさんを怒らせたのだ。

何匹も食べたらさすがに慣れるだろうと思いきや、マジで慣れないざざ虫。やっぱり虫と人間は相容れない。嫌悪感とか凄いしな。あいつらやっぱ宇宙から来てる。地球の生物とは別のベクトルで進化してる。間違いない。

ラストざざ虫、本当に太ってるんですよ。身がぎっしり詰まってる。爪楊枝刺したらわかるからね本当に。マジでデブ。ざざ虫界のマツコデラックス。世論とか切ってそう。

「スリー!ツー!ワン!ゴー!シュウッ!!!」

ぶちゅっっ……
じわぁ…

あっ、これ駄目なやつだ。明らかに汁が出てきてる。多分俺ちょっと泣いてたと思う。5年ぶりくらいに人前で涙を流した可能性すらある。
ビールを飲み干す。足りない。ラストオーダーの時間すぎてる終わった。友人♂の飲み物もうない。友人♀の飲み物を飲む。めちゃくちゃ甘ったるいななんだこれ。苦すぎと甘すぎの地獄のコラボレーション。味が喧嘩するってこういう事か。注文していたパンの耳を揚げたやつを食べる。救いはここにあった。凄いよパンの耳を揚げたやつ。文明開化の音がする。ぷちゅっとかじゃなくてサクっていうもん。すげえ。あと美味い。パンの耳を揚げたやつマジで美味い。文明すげえ。ありがとうパン。

ざざ虫、食べない方が良いです。本当に。薄利多売半兵衛はマジで二度と行かねえ。それでは。

久しぶりにGreeenを聴きました


「e」の数合ってるかな…。
日曜の夕方にこんなブログ読んでるような人はだいたい捻くれ者なのでGreeeenなんて好きじゃないと思うんですけど、どうでしょうか。好きだったらすいません。

俺は好き嫌い以前にあまりGreeeenに興味がないんだけど、そういえば最近映画化されてたし、自分が高校生の頃に流行ってあちこちで流れていたな、というのを思い出してお馴染み『キセキ』を数年振りに聴いてみた。

「二人寄り添って歩いて永遠の愛を形にしていつまでも君の横で笑っていたくて」
どうですか、この歌詞。恋愛中って偏差値が28くらいになるんだろうな多分。
でもこれ凄いのが、メロディがはっきり出てくるんですよね、歌詞見ただけで。普段から聴いてる人は別だけど、俺みたいに7年振りくらいに聴く人が歌詞見ただけでメロディ思い出せるって凄いんですよ。だって俺元々がGreeeenちゃんと聴いてた訳じゃなくて、流行っててあちこちで流れていたり、誰かがカラオケで歌ってたりしてるのを聴いてるから知ってる、程度なのにすぐにメロディが出てくる歌詞。すげえ。

Greeeenの『キセキ』と同じくらいの流行り方&(俺の)聴き方した曲の例としてとりあえずEXILEの『Lovers Again』を挙げておきます。これは流行ったの俺は確か中学生とかだった気がするけど、流行り方と耳にする頻度は圧倒的にこっちの方が高かったので暫定的に公平な比較とします。文句がある人は我慢してください。

「ひとりでは愛してる証さえ曖昧で切ないだけふたりでは優しく見守ること続けられない」

……?
どうしてひとりでは愛してる証さえ曖昧で切ないだけなんですか…?愛してる証ってなんですか…?ふたりでは優しく見守ること続けられないのはどうしてなんですか…?

歌詞の意味はよくわかりませんでしたが、それは多分俺に恋愛経験が足りないんでしょうね。
結論から言うと、歌詞見ただけでメロディは結構出てきました。後半の「見守ること続けられない」の部分がちょっと出てくるまでに時間かかりましたが、出てきました。

これでは比較対象として出した意味が無いんですけど、嘘は書きたくないのでとりあえずJ-POPの歌詞とメロディの親和性すげえって結論に落ち着かせます。俺はいつも書き始めてから内容を考えるからこういう事になる。
数年聴いてないロックバンドの歌詞とか見てみたら結構メロディ思い出せないんじゃないかなって思います。俺は思い出せませんでした。頭脳警察とか、GRAPEVINEとかその辺り。逆にあまり聴いてないはずなのにケツメイシとか絢香とかコブクロなんかはサラッと思い出せる。
それでも優しいからロックの方が好きです。

俺が書く記事はいつもそうなんだけど、落とし所がないんですよね。だからお得情報だけ置いておきますけど、歌詞の後に「……卍解」って書くとBLEACHのワンシーンっぽくなって楽しいです。俺が。

「この声が枯れるくらいに、君に好きと言えば良かった……卍解

ほらな。合コンとかで血液型と天気の話題という切り札を使ったのになお盛り上がってない地獄みたいな状況になったら使ってください。保証はしません。

ふたり寄り添って歩いて永遠の愛を形にしてぇ。それでは。

仕事内容だけで仕事を選ぶのって難しくないですか。


こんにちは。よく喋る根暗です。最悪だ。

単純な話、「やりたい仕事をやる」って結構難しくないですか。なるだけなら簡単だけど、なった後に給与面や待遇面で一生働くにはちょっと…。みたいなのもある訳じゃないですか、実際の所。業務内容としては惹かれるけど、業界としてブラックだしな…とか。

実際の所、居酒屋を筆頭に、飲食店の仕事ってまあまあ楽しいと思います。人間関係にだいぶ左右される部分はあるけど、少なくとも俺は一日中パソコンと睨めっこして訳のわからんログ見て機械が故障してるか調べたりするよりは遥かに楽しかった(アルバイトだけど)。でも、じゃあ正社員として働きますか?って問われた時に「給料がちょっと…」とか「激務だし休みないし…」とかその辺りの理由で候補にもならないって事はたくさんあって、今まで何度もそういう状況は見てきた。
もちろん飲食店全ての労働環境が破綻している訳ではないし、自ら進んで選択している人もいる。だから飲食店の正社員=考えられない選択、とかそんな話はするつもりがなくて、現実問題として労働環境を理由に避けられる職である、というのは、既に事実としてある。それって悲しくないですか。

俺は大学生の頃、小さい個別指導の塾で講師のアルバイトをしていたんだけど、人間関係や労働環境を一切排除して、単純な仕事内容だけに限って言えば、1番楽しかった。中学生生意気だけど可愛かったし。

「先生って大人としてはダメだけど先生としては良いですよね!」とか生徒に言われてた。しばくぞ。
単純な指導能力の有無はわからないけど、小学生も中学生も高校生も結構みんな楽しい子達だったし、勉強以外の、例えば恋の相談とか受けて超楽しかった。俺は「告っちゃえ!」しか言わなかったけど、顔真っ赤にして相談してくる女子中学生とか凄く可愛かったです。通報するのはやめてください。

だからバイトだけど講師やってて、俺こういう仕事好きなんだなあって思ってた。思ってたけど、実際に正社員とか近くで見てると、そもそもが定時14:00〜22:00で、それは実際生徒が塾に来るのは学校終わった後だから仕方ないけど、世間の時間帯とズレていて、更に教材準備とかで結局早く来たり、残ったりしてる。残業代は出ない。俺はその塾しか知らないけど、正社員の講師たちが言うにはどこの塾もだいたいそう、との事だった。これは俺がそう聞いただけだから鵜呑みにはしないで欲しいけど。

塾講師って結構バイトとしては人気だけど、正社員ってなると急に人手不足になる。募集もよく出てるし。それは結局調べたらすぐに「塾講師はブラック」って出てきちゃう現状があるからで、それを見て本当はやりたいのに諦める人が多いって勿体無いと思うんですよね。
激務なら激務で、どうせ世間との時間帯の違いもあるんだから、1日の労働時間延ばして代わりに週休3日にする、とかやりようはある訳だし。少子化だし人も足りてないから難しいだろうけど。

仕事に没頭できる人とかはまた違うだろうけど、特に今の時代は余暇を大事にする若者は多いし、そうなると塾講師ってあまり選ばれないですよね。仕事終わりに友達と飲みに行くか〜とかもし辛い職業だし。終わるの22:00だし。

その辺の兼ね合いが無ければすぐにでも塾講師になりたいけどな、と思いつつこのブログ書いてる訳なんですけど、どうなんですか?24歳の土曜日の過ごし方としてこれは。

仕事辞めてえな。それでは。

大人になると、友達っていなくなるんだと思ってました


8月ですね。オーガスト
俺が実際そうするのかというのは一旦脇に置いて、釣りだのBBQだのビアガーデンだの海だの川だの山だのあとなんだ、野球とか夏フェスとかそういうの。遊びの季節です。世間的には。一年中夏休みみたいな文系の大学生は死んでくれ。そう、当時の俺だよ。スタジオとバイトしかする事なかったけどな。

子供の頃、夏休みともなればそれはもう毎日遊んでた。ひろのりや広海やタカヒロや智恵やアンナ達といつも遊んでたよ。みんな元気か。もう顔も思い出せねえ。

昼ごはん食ったら高針原公園集合な!つって味のしないソーメンかきこんで、自転車かっ飛ばして10分で高針原公園。缶蹴りしてひろのりん家行ってポケモンスタジアムスマブラやって門限破って父親にぶん殴られて頭から血流して大泣きしたけど毎日楽しかった。友達と遊んでた。

父親や母親が友達と遊んでいる所を見た事がなかった。基本的に父親はいつも会社に行っていて、同僚と飲みに行く事はあったけど、でも子供心に同僚って仕事の人だと知っていたし、それって友達ではないよなって思ってた。休みの日は家でゴロゴロしながらテレビ観て「つまんねー」って言って、たまに俺を殴ったりしてた。母親はいつも家にいるか、スーパーに買い物行ったりしてた。だから俺は、大人になると、友達っていなくなるんだと思ってた。

親が友達と遊んでる所って、見た事ありますか。あったら別にいいんですけど、俺はありませんでした。親の口からたまに学生の頃の友達の名前とか聞こえてきたし、だから確実に友達が「いた」という事は事実なんだけど、俺の知る限り会ったり遊んだりしている様子はなかった。と思う。
まあ会わなければ友達じゃなくなるのかって言われればそれはまた別の話なんだけど、当時俺は小学生だったし、教室と家と友達だけが世界の全てだったから、その内の一つの影が見えないというのは結構な衝撃だった。
教室は会社に変わって、友達は失って、家だけは変わらないものだと思ってた。ほんとか?

家族を持つって凄えと最近よく思います。結婚して、子供がいたら、それはもう自分の人生が自分だけのものじゃなくなるって事じゃないですか。お金や時間が自分だけのものじゃなくて、生活や将来の為の物になる。父親が朝早く起きて満員電車乗って理不尽な罰ゲームみたいな仕事してどうにか得た金を使って母親が1円でも安いスーパーで卵買う為に暑い中自転車こいで、時間かけて飯作って、それを遊んで帰ってきた俺が食べる。あの日俺が「アンナん家でおやつ食べ過ぎたからもういらねー」つって残したオムレツが出来上がるまでにそんな毎日の限界がある。マジでごめん両親。

だからまあ、そういう「誰かの為」でなんとか成り立っている空間に身を置くと、友達と会ってる暇もなくなって疎遠になっていくのかなって思います。俺は24歳で世間的にはまあまあ大人だけど、独身だし今もしょっちゅう友達と遊んでる。流石に子供の頃ほど圧倒的な自由がある訳でもないし、毎日遊べるかって言ったらそれは違うんだけど。

でも俺は、仮に自分の人生が自分だけのものじゃなくなったとしても、頻度は今より少なくても良いから友達を失いたくないなと思います。
そういう事いうと「それは甘えでは?」「そういう勝手がまかり通る世の中じゃないですよ」「時間は家族の為に使うものです」みたいにフリースタイルのラップよりも文脈無視した事いってくる奴いるんですけど、残念ながら今の世の中では。でもそんなフリースタイルラッパーは服のサイズも選べないパッパラパーだから無視して俺は俺の幸せを妥協と納得の中に見つけてあげなくちゃいけないなって思います。俺の為に。妥協というのは前向きな意味だよ。誰かリプライの送り方を義務教育で教えろ。

最近異常に体調が悪くて、手の痺れは収まんないし咳したら手に血がついてるし半年で体重が12キロ減って会社の人に「もうシルエットから別人じゃん」って言われたりして余計に思うんだけど、人生って短いしいつ死ぬかわからない。こんな体調悪くても普通に90まで生きるかもしれないし、今日元気だった人が明日には車に轢かれて死んでるかもしれない。それこそ大地震だってあるかもしれないし、北朝鮮からミサイルが飛んできたりする未来もあるのかもしれない。俺は北朝鮮の事はよく知りませんが。

だからこそ、死ぬ迄の間は自分の人生をしっかり自分で納得出来るものにしてあげたいなって思うし、そうすると友達って欠けちゃいけないものなんだなって思います。だから世間や身近な人に責められても、そこはまあどうにか抵抗していたいなって話でした。大人になるって事がそんなに制約だらけじゃないと良いね。個人じゃなくて世間の話でね。

オーガストって酔って叫んだ意味不明な言葉みたいな語感してて良くないですか?俺は好きです。

じゃあそんな感じで。生きる事を諦めないでいようぜ。それでは。

俺はどうするのが正解だったんですか


って最近よく思います。
いやわかってる正解が無いってことは。だから正論を放とうとだらしなく開けたその口を今すぐ閉じてくれ。口を開くのは好きな人と話す時と美味しいものを食べる時だけにしてくれ。
正論を着払いで送りつけるような事はしないでくれ。

俺たちはそれぞれがそれぞれの経験や感性や能力や思考や願望を前面に押し出したり押し殺したりして生きてる訳で、そりゃあ当たり前のように間違えるし、結果として毎日がただ辛く苦しいものになったりする。俺が女子高生だったらまぢ無理。。。とかmixiに書いちゃうような毎日を送ってる。mixiって久しぶりに聞いたな。なんで廃れたんだろうなあれ。

俺が高校生の頃はmixiがめちゃくちゃ流行ってたんだけど、それはまあいいや。当時の日記とか紹介文とか見ると寒気しますよね。やめようこういう話は。死人が出る。君たちが死ななくても俺が死ぬ。ログインパスワード忘れたから消せないし。

とにかく、人って間違えるんですよ。自分で設定したログインパスワードを忘れるよりも簡単に。
そういう時に誰かに、何かに、俺はどうするのが正解だったんですかって泣きついても何も解決しなくて、でも解決することだけが感情の解決策ではないから、それもいいと思うんだけど。

誰かに正解を提示されてそれをこなして生きるって楽だと思います。失敗したらそれを提示した奴を責めればいい。お前がそうするのが正解だって言ったんじゃないか!って声を枯らして叫んだら良い。きっとそれで解決できる事もあるんでしょう。

生きる上での正解って、かなり限定された話だけど良い大学出て良い会社入って、結婚して家族持って慎ましくも幸せな家庭を気づくことだと思う。君が違うって言うならそれで良いけど、少なくとも俺はそうだと思うし、結局世間的な正解の人生ってそういう事なんだよ。夢追ってる場合じゃないぞ、俺たち。

「あいつマジウザくね?」
「わかる。足の裏みたいな顔してんのに偉そうなんだよな」
とか部下に陰口叩かれてたとしても、奥さんから渡される小遣いが月5000円だったとしても、それが正解です。

それって楽しいですか。俺は楽しくないです。
誰かがそういう正解を慎ましく守っていくのを俺は決して馬鹿にしないし否定もしない。でも単純に俺自身がそういう正解を求めるのかって言ったらそれも違う。だって楽しくないんだよ、俺にとっては。それだけの話。シンプルに行こう。俺はいつも話が脇道に逸れるけど。

世間的な正解が個人に当てはまるかって言ったらそれはNOじゃないですか。そんなことは人生に100%満足してる奴と救いようのない馬鹿と言葉を持たない原始人以外はわかる。

それでもその正解を求める人が多いのは単純に楽だからなのかもなあって思います。生き方とかそういう話じゃなくて、幸福の度合いをわかりやすく計るツールとして。

幸せってどうしても他人と比べちゃうものです。それは多分「幸せって人と比べてどうこうじゃないでしょ。自分にとってそれが幸せかどうかでしょ」って漫画みたいなこと言う奴や、アフリカの子供達を本気で憂いてる嘘みたいな聖人まで変わらずみんなそう。多分。医大でて医者になって美人な奥さんがいて品行方正な子供もいて仕事も順調。未来は明るいみたいな人も、38歳だけどまだデビュー夢見て毎日路上で弾き語りしてますみたいなおっさんも、安倍総理蓮舫EXILEもAKBも俺も君も多分みんなそうだと思う。違ったらごめん。

でも幸せを他人と比較するって基準がないから、その正解ってやつを上手いこと個人に落とし込んで比較するんだろう。そうだったら本当にくだらないからそうじゃないといいな。

世間的な正解を正解なんかじゃないって受け入れられない心が10代の俺たちはどうしたら良いんですかね。それこそ、俺はどうするのが正解だったんですかって言いたくなるんですよ。
だって俺は人生失敗中みたいなもんだし、いつTwitterに「失敗なう」とか呟いてもおかしくない精神状態で生きてる。失敗継続中の人生って厳しくないですか。なんだ失敗なうって。

金土夜の新宿駅東口に行ったことがありますか。あの空間どうですか。俺は耐えられません。世界で一番嫌いな場所です。
多分あんまり好きな人もいないんじゃないかなとは思うけど、それでもみんな待ち合わせに適しているからとかそういう理由で当たり前のようにそこに留まる。よく考えろ。そんだけ人が多い場所は待ち合わせ場所には適さないぞ。西武新宿にしろ。

金土夜の新宿駅東口は俺はいつも通り過ぎるだけでも吐きそうになる。そこにいつまでも留まってる奴はどういう感情でそこにいる事が出来るんだって真剣に考えてしまう。それくらい無理。ストレスでハゲるなら俺いつかハゲるんだろうな。

でも多分、金土夜の新宿駅東口で友達や恋人と待ち合わせを出来て、それが苦じゃない人生が正解なんでしょうね。これ伝わりますかね。大丈夫ですか。ダメですかやっぱり。

世間的な正解を正解と思えなかったらどうすれば良いのかって、それは自分なりの正解を見つけるしかないんだけど、そうして見つけた正解って他人から見たらめちゃくちゃな不正解だったりしますよね。赤点のボーダーラインより0点に近いくらいのクソみたいな解答なんです。そういう体験を最近しました。俺も昔はもっと「まともな」人間だったはずなのに。

とにかくビルから飛び降りる事を正解だと思わないような人生にしましょうね。あとそうなってしまった時に悲しんでくれる人が出来るような人生にしましょうね。

本当に言いたい事ってまとまらないよね。1ミリも伝わらなかったらすまん。それでは。

俺はどうするのが正解だったんですか。夜勤明けでまだ会社にいるんですけど。

BUMP OF CHICKENについて喋らせてくれ


BUMP OF CHICKENが大好きです。キリンさんよりもゾウさんよりもママよりもずっと大好き。

ギターを弾くとだいたい「アベフトシ(ミッシェルガンエレファントのギタリスト)好きですよね?」って言われるし、曲作ると「イエモン好きですか?」とか「尾崎豊好きですか?」と言われる。

6年間音楽をやってて、「BUMP OF CHICKEN好きですか?」とは一度も聞かれたことがない。
けど、俺にギターを始めさせた罪深い友人からは「いやお前はかなりバンプから影響受けてると思うよ。具体的にどこっていうのはわからないけど」と先日言われた。
具体的にどこかわからないけど影響受けてるって事は、多分相当深い根っこの部分なんでしょう。精神性とか。

その友人は、まあ組んでる『豚』ってバンドのボーカルなんだけど、そいつは多分俺と同じくらい(ユグドラシルまでの)BUMP OF CHICKENが大好きで、多分俺も彼も、そこら辺の人が想像するよりずっと大好きだと思います。多分「バンプが酸素です!」とか言ってる人よりも、自らをBUMPerと名乗ってる人よりも、ずっと好きだと思う。

でも好きの深さっていうのは他人と比べてどうこうでもないし、そもそも見えないから比較も出来ないんだけど、俺が言いたいのはそれでも比べてしまうくらいに大好きって事。わかりやすく言うと、スマフォからこの記事書いてるんだけど、簡単に「バンプ」とか「バンプオブチキン」とか書かずに「BUMP OF CHICKEN」って書くくらいに好き。いやこれは伝わんないか、俺の普段の面倒くさがりさを知らない人には。

これ言うとBUMP OF CHICKENのファンからだいたい怒られるんだけど、最近の、具体的には「orbital period」以降のBUMP OF CHICKENはそんなに好きじゃない。俺の中の彼らへの愛はユグドラシルまでが最も深い。

それでもBUMP OF CHICKENはずっと大好きだったから、「Present from you」(これはカップリング集+一曲だからちょっと趣旨が違うけど)も買ったし、「COSMONAUT」も買った。そしてついに、「ray」は買わなかった。

そこに至るまで全てのアルバムを購入していたのに、「ray」は購入しないばかりかレンタルもしなかった。だから収録曲も全然知らない。カラオケで誰かが最近の曲を歌ってても知らない曲だし。

これって凄く寂しい事なんです。俺はBUMP OF CHICKENを始めて聴いたあの日から音楽を好きになったんですよ。BUMP OF CHICKENで、隠しトラックまで含めて、知らない曲なんて一つも無かった。俺お前believeだったし、それってtruthだったし、チワワのように震えてた時も、いつだってBUMP OF CHICKENが側にいてくれたんですよ。書いてて気持ち悪くなってきたな。オタクってだから嫌われるんでしょうね。

寄生獣の実写映画を見に行った時、主題歌がBUMP OF CHICKENの新曲だったんだけど、あれを映画のクレジット眺めながら聴いてハッキリと思っちゃったんです。「ああ、俺はもうBUMP OF CHICKENの新曲を能動的に聴く事はないんだろうな」って。

別に悪い曲とかじゃないんだよ。格好いい曲だし、いい曲。でもそれは俺の求めているBUMP OF CHICKENじゃ無かったんです。

ファンって本当に身勝手な生き物ですよ。アーティストが少し違う方向に進み始めるとすぐにそっぽ向きますから。もちろん俺の事も含めて言ってますよ。

でもそれってBUMP OF CHICKENが間違ってるとかじゃなくて、単純に俺の感性の問題。俺はBUMP OF CHICKENと一緒に成長出来なくて、優しくもなれなくて、俺の頭の中ではずっとFLAME VEINTHE LIVING DEADやjupiterやユグドラシルが鳴ってるのに、BUMP OF CHICKENはそんな精神年齢16歳の俺を置き去りにして、遠い所に行ってしまった。だって俺の中ではBUMP OF CHICKENはずっと「僕の事なんかひとつも知らないくせに」って歌ってる。

今の藤原基央は多分「話したい事は山程あるけどなかなか言葉になっちゃくれないよ 話せたとしても伝えられるのはいつでも本音の少し手前」なんて言わないんじゃないかって、そんな事を無責任に思ってる。

俺は今のBUMP OF CHICKENを否定するつもりは全く無いです。新しい曲を聴かなくなっただけでBUMP OF CHICKENが大好きな事実は決して揺るがない。FLAME VEIN聴いて下手くそだなあって笑って、でも凄く良いな、最高だなって泣きたくなって、それで良い。

怒りとか悲しみとか誰にも理解されないって葛藤とか焦燥とか、そういうの全部含めてあの頃のBUMP OF CHICKENが今の俺を作ったと言っても多分間違いはないんでしょう。

俺は、BUMP OF CHICKENが今でも大人気バンドとして日本の音楽業界にいてくれる事をめちゃくちゃ嬉しく思ってる。新曲は進んで聴かないけど、ずっと活動していて欲しい。

BUMP OF CHICKENは間違いなく平成日本のロックンロールバンドだった。オルタナティヴロックとかじゃなくて、ロックンロール。わからない奴は今すぐFLAME VEINを聴いてくれ。それでわからなかったらロックなんてやめちまえ。絶対言い過ぎなんだけど、そう思ってます。

今の俺が普段聴いてる音楽はミッシェル、イエモンブランキー斉藤和義ゆらゆら帝国中島みゆきさだまさし、とか、他にもあげられないくらいあって、それを知ってる人からは「え、お前バンプ好きだったの?」って驚かれるけど、最近ハッキリした。俺が今まで聴いた世の中にある全てのCDの中で一番好きなのはBUMP OF CHICKENの『FLAME VEIN』です。

俺は「生まれてきた事に意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃイケナイ」とか言えないけどな!

死にてえ。それでは。