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ブラック社畜が労基に行った話

まず前提としてこれから話すことはあくまで‘‘私の”体験談であって全員が全員そうな訳ではない、という事をご理解頂きたい。

ブラック企業で働く社会人は基本的には満身創痍である。私も例外ではなく、度重なる理不尽な労働に体力と気力を奪われ、労基に行くだけの気概を持てなかった。しかしこのままではいかんと奮起し、1月下旬の休日。新宿の労基へと足を運んだ。新宿の労基を選択した理由としては、私が働く会社の本社が新宿に存在するからだ。

労基に到着し、受付番号を受け取り、相談の列に並ぶ。それはもう長蛇の列だ。日本の労働環境は破綻している。そう感じさせるほど長い列だ。待つ事30分。相談員に呼ばれ、小さなブースに入る。相談員は初老の男だ。深い皺が刻まれ、眼の下には濃いクマがある。おかしな話だが、労基での労働ももしかすると多忙を極めるのかもしれない。

相談員に向かって、かいつまんで相談内容を話した。現在の労働環境、未払い賃金、匿名でアクションを起こしたい事、目的は未払い賃金の回収等ではなく労働環境の改善もしくは叩けば埃が出るどころか存在そのものが埃のようなものなので監査や指導を入れて業務停止に追い込みたいなどなど…
彼は真摯に聞いてくれた。話を全て聞くなり一言「アウトですね」
そう、私が働く会社は労基にもアウトだと認められたのだ(わかっていたことではあるが)。

ただ問題があった。本社が新宿にあり、発信をしているのが本社だとしても私が働いているのが埼玉の営業所である以上、まずはその管轄の労基に行かなければ対応はしてもらえないらしい。

そんな理由で、2月中旬に埼玉中央区の労基へと赴いた。この間半月の空白期間があるのは、単に半月間休みが無かったからである。クソが。

さて埼玉中央区の労基。ここは新宿よりも大きかった。ビルの15階にて受付を済まし、相談が始まる。対応してくれたのは40代の女性職員だ。若い頃はさぞモテただろうと思わせる外見である。持参した出勤簿や給料明細等を見せながら説明をしていき、しっかりと聞いてくれた。聞いた上で、「ここは相談所なので、監督署に行きましょう」といった内容のことを言われた。監督署は下の14階にある。
相談員に連れられ14階へ。ここで新たな署員の登場だ。
この署員をハゲと表記する。

ハゲは人の話をまるで聞かず、結論ばかり勝手に話す。求めているのはそれではない、と口を挟んでも止まらない。順を追って話すからお前一回黙れよ、という旨をオブラートに包んで言ったがそれでも彼の口は止まらない。匿名で、と言っているのに実名での請求や裁判の話しかしない。彼の中では定型文が出来上がっていて、それを言うだけ。

しかしそこで私は気付いた。彼はおそらく具体的な対応をしたくないのだ。これは営業マンにしかわからない感覚かもしれないが、このハゲの感じは、‘‘なんとしても契約する空気には持って行きたくない”時にお客さんが発する空気によく似ている。このハゲは仕事をしたくないのだ。

結局は相談員次第である。ちゃんと聞いてくれる人もいるがこのハゲのように話を聞かない奴もいる。そして多くの場合、満身創痍のブラック社畜はそのような対応をされるともう行かないという選択をする。なぜか。疲れているからだ。労基が空いているのは17:00まで。もちろんブラック社畜はそんな時間に労基に行くのは不可能だ。そして休日は労基に行く体力がない。そもそも休日がない。せっかくの休日を削って労基に行ってもこのざまならばもう行くもんか、となってしまう。

私はもう労基には行かないだろう。そもそも埼玉中央区で対応してもらったとしても新宿にある本社に監査が入ることはない。本社に監査を入れる場合は私が本社で働いていなければならないらしい。まったくもって意味のない話だ。

それからもう一つ。匿名を貫くとすれば「情報提供」扱いになるらしい。そして情報提供の場合、フィードバックがない。つまり監査が入っても入らなくても、その事実は情報提供者には伝わらない。そして監査に入るかを決めるのはあくまで署員であり、勝手に優先順位を決めてしまうらしい。

つまるところ、本当になにかのアクションを起こす場合、人でも死んでいない限りは匿名では厳しい。実名公開で争うか、もしくは早々に辞めるしかないだろう。その上、実名公開で争うのであれば膨大な量の手続きをしなければならない。そして争う為の証拠を出来る限り押さえなければならない。ブラック社畜にそんな体力と気力と時間はない。

日本の闇は深い。私はもう、疲れてしまった。

お洒落スポットが怖い

前提として私は所謂『非リア』に分類される生き物であるのだが、実は髪を切る時は床屋ではなく美容院に赴く。思春期に目覚めたあの日から。

美容院に赴き、まず目に付くこと。店員も客も、みんなお洒落である。一方私は…皆まで言うまい。
席に通され、こんな言葉を投げかけられる。

「今日はどんな感じにしますか?」

意外に困る質問である。どんな感じに。例えば私が強面だとしたら「パンチパーマ」と言えばパンチパーマにしてくれるだろう。しかし私が「パンチパーマ」といえば「お客さんwwそれじゃ奈良の大仏みたいになっちゃいますよww」みたいなリアクションをされるだろう。無論パンチパーマにするつもりは微塵も無いが、とにかくそうなのだ。

イケメンが「福山雅治みたいにしてください」といえばそうなるだろうが私が同じ事を言えばまずは整形をしろと言われるだろう。

つまり私のような人間には「今日はどんな感じにしますか?」という質問はハードルが非常に高いのだ。なので私はいつもこう言うしかないのだ。

「あっ、なんかいい感じにしてください」

なんかいい感じにしてください。
店員さん、いつもごめん。

そして世間話をしながらチョキチョキと切られていく訳だが、ああいう場所は目の前に巨大な鏡が置いてあるのが基本だ。自分の髪の毛が半分だけ短くなっていく様をしげしげと眺める機会は日常ではそうあるまい。

美容院の話は飽きたのでここまでとする。

服屋の話。

服屋の店員の接客が怖い。

そういえばこの時期に着る服が少ないな、と思い服屋に入り、明らかに自分では着こなせないようなデザインの服を眺めていると、奴らがやってくる。

「それいいっすよ。冬の新作っす」

誰だ貴様。

こうなる。「あっ、そうなんですか。冬の新作なんですか。それそれは…おめでとうございます?」

みたいな感じになる。なんというか側から見てると居た堪れない。なんだおめでとうございますって。

それは果たしてお洒落なのか?という奇抜でやかましいデザインの洋服を一通り眺め、結局無難で面白みのない洋服に落ち着く。

ああいった場所で気さくに店員と話し、長々と滞在できる人間と私はなにが違うのだろう。例えば私が顔もスタイルも良い人間だったのなら、堂々としていられるのだろうが。私の卑屈さは外見のコンプレックスによるものだろうか。それもあるだろうが、きっとそれだけではなく、性格に起因するものもあるだろう。なんにせよ、お洒落スポットに好き好んで滞在できる人間とは人種が違うのだ、と無理矢理に結論付ける。

そもそも私は小洒落たバーで高くて量の少ないパスタを食べて目に痛い色のカクテルを飲むより、サイゼリアの一杯99円のグラスワインを友人と共に店員にドン引きされるくらいの量を飲んだり、日高屋で餃子をツマミに冷酒やビールを飲んでいる方が好きだ。それが私の幸せなのだ。

23歳

多くの方にとって非常にどうでも良い話であるが、本日1/24をもって私は23歳になった。
今でも好んで聴く音楽は10代の頃のまま。しかし日々現実は辛いものになっていく。

THE SMITHSの『The Queen Is Dead』のアルバムを、間に合わせの1980円のイヤフォンで聴いていると10代の頃よりは少しは大人になれただろうかと思案する。少しは大人に慣れた
だろうかと置き換える。
EXILEなんて嫌いだ、AKB48なんて馬鹿馬鹿しい。そんな態度も取らなくなった。
会社の人達とカラオケに行って、EXILEの曲でマイクを渡されれば、知っていれば控えめに歌うようになった。AKB48が流れれば笑顔を貼り付けて手拍子をするようになった。
同期とカラオケに行けば、本当は歌いたいイエローモンキーやミッシェルガンエレファントやブランキージェットシティは歌わずに、Mr.Children秦基博を歌った。せめてもの抵抗に、エレファントカシマシ斉藤和義の誰でも知っているような歌だけは歌った。

自分よりはるかに営業成績が悪い先輩が上からごちゃごちゃ言われないように、こっそり数字を分けてあげた。それが先輩を惨めな気分にさせるとはっきりと自覚しながら、私はそうした。

自身の虚栄心を満たすための小さな抵抗をしなければ、私は大人にはなれない。つまりそれは、未だに大人にはなれていないという事なのだろう。

別に大人になりたい訳ではない。大人にならなければいけないから大人になるだけだ。そう言い聞かせてもう3年目になるのだ。
きっと私は一生大人になれない。それでも良いと今は思っている。

そんな私でも、少ないながら「おめでとう」と言ってくれる人がいる。少なからず、生まれてきた事を祝福してくれる人がいる。それだけできっと充分すぎるのだ。多くは望むまい。

社会人になって、めっきりとエレキギターを弾く機会が減って、せめてもと去年16万のアコースティックギターを買った。楽しくて、ずっと弾いていた。
しかし今日久しぶりにアンプに繋いでエレキギターを弾いたら、やっぱり私はロックスターになりたかったのだと気付いた。叶わない夢は追わない主義だ。それでも望むくらいは許されたい。社会のルールよすいません。いつかロックンロールで返します。

宇宙刑事ギャバン

若い人(私もだが)だと知らない方も多いかもしれないが、宇宙刑事ギャバンという特撮物がある。私は、記憶が正しければ小学生の頃の夏休みにテレビで観た。私は特撮が割と好きで、今でも酒を片手にウルトラマン仮面ライダーを観る事がある。子供の頃は戦闘シーン以外はどうでも良かったのだが、今になってみるとむしろ戦闘シーン以外が面白く感じる。有名なところでは、ウルトラマンセブンで、セブンがメトロン星人とちゃぶ台を挟んで対話するシーンがある。調べれば出ると思う為内容は省くが、とにかくメッセージ性が強く、子供の頃とはまた違った視点で観れるようになるとなかなか興味深い内容の物が多いのだ。

特撮の曲に関しても同様で、聴く人によれば「ダサい」のだが、呆れるほどストレートなメッセージが心地よい。
宇宙刑事ギャバンの歌詞で言えば、「若さってなんだ 振り向かない事さ 愛ってなんだ 躊躇わない事さ」と、なんだか大事な事を改めて気づかせてくれたような気持ちになるのだ。

特に「若さってなんだ 振り向かない事さ」の部分は個人的にはなかなか衝撃で、もちろん常々思っていた事ではあったのだが、子供の頃に慣れ親しんだ物を大人になってから再び触れて指摘されると感慨深い物がある。

近頃の私は振り向いてばかりで、まだ年齢的には若い世代ではあったとしても、随分歳をとったものだと感じる。「あの頃は楽しかった」が思考の7割程を占めている。
もっとも私にとって「楽しかったあの頃」というものは殆ど無いのだが、その僅かな時間を反芻してしまっている。

私は傍目には随分と辛い人生を歩んできた。「俺がお前ならとっくに自殺してるよ」と何人から言われたかわからない。しかし、私は私の人生に概ね満足している。一瞬でも楽しかった過去があるのはそれだけで幸せだ。気兼ねなく話せる元同級生のメンバーや、「たまには連絡しろよ」と言ってくれる歳上の友人、辞めた今でも飲み会に誘ってくれる学生時代のアルバイト先の後輩。少ないながらも、自分を取り巻く環境はとても暖かいものだ。そんな彼ら彼女らとの思い出を振り向く事が若さからの衰退であるのなら、私はただの歳をとった子供で良い。

なんでも無い事で(今回は宇宙刑事ギャバンの曲を聴いた事で)自分を見つめ直す機会が自然に発生するのは、子供よりは長く生きてきた大人の特権なのかもしれない。
良くも悪くも自分を見つめ直すのに時間はいらない。きっと、過去も未来も現在も大切にして良いのだと思う。大切にするべきだ、とは決して言わないが。

先日雪が降り積もった。私が今の住まいに越してきてから初めての積雪となった。元々住んでいた場所と電車で1時間程しか離れていないにも関わらず、気温は5℃程も違う。

雪の降った日、私は友人からの飲みの誘いを快諾し新宿へと繰り出した。
家を出た時、周辺には雪が積もっており、非常に歩きづらかった。どうにか最寄りの駅まで辿り着き、小一時間電車に揺られ、大迷宮新宿駅へ到着した。
いつも通り迷子になりつつようやく外に出ると、其処にはもう雪は殆ど残っていなかった。往来の激しい道には、片隅にすら雪は残っていない。しみじみと、都会では積雪の寿命は短いのだと感じさせられた。

子供の頃、雪が降るのはたまらなく喜ばしいことだった。童謡の犬のように庭を駆け回り、友人と雪合戦やカマクラ造りに勤しんだ。
大人になった今、雪というのは迷惑な物でしかなく、寒さを助長し、白に反射した陽は目に眩しく、足を取られぬよう背を丸めて慎重に歩く。麻痺した交通網、すし詰めの電車、怒鳴る客と怒鳴られる駅員。

正直に言えば、ある程度大人に近づけば、日常に雪が降ることを喜ぶ事は殆ど無い。子供の頃の喜びは何処かへ行ってしまった。ただ、まだ踏み荒らされず、排気ガスに汚されもしない積雪を、綺麗だなと思える心を失ってしまった人はそうそういないだろう。
友人とお開きにし、ほろ酔いで自宅へ戻る道すがら、そんな事を考えた。新宿から小一時間電車に揺られ、最寄りの駅に到着すると、まだ雪は多く残っていて、ここは人が少ないな、となんとなしに思った。

キャッチコピー

キャッチコピーが好きだ。短い文章で「おっ」と思える秀逸なキャッチコピーは世の中に多くある。

碌に見もしないCMや、街角の広告、本の帯など。有名な物もそうではない物も、とにかく私のお気に入りのキャッチコピーを紹介していこうと思う。


恋が着せ、愛が脱がせる

君が好きだと言う代わりに、シャッターを押した

スカートも哲学書も、捲るのは十代だった

料理の味は、よくわからなかったけれど、あの人がいたから、おいしかったのです

わたし、会社なんて、酔わなきゃ行けません

無鉄砲という武器を、あんたにあげよう

一冊、同じ本を読んでいれば、会話することが出来ると思うの
新潮社

ため息の多い国だから
明治キシリッシュガム

「一本しか売ってなかった」と好きな子に嘘をついた

10
ちっちゃな本がでかいこと言うじゃないか

11
母から初めての宅配便。段ボールごときで、自分が泣くなんて、知らなかった
ハウスメイト

12
母が年をとったことを、味の薄さで知りました
天王醸造

13
NOVA

14
世の中に存在するたいていの食べ物は、所詮おかずだ
日本米殻販売事業共済協同組合

15
この夏も、やがてあの夏になる

16
明らかにモテ期だ。彼女が。それでも、前を向く
Roots

17
眠れない夜は、いつもよりちょっとむずかしい本を読んでみる

18
こころ残りの大半は、言えなかった「ありがとう」だったりします
平安閣グループ

19
自分の夢まで、自己採点しないでください

20
服よ、黙れ
天下堂

21
勉強を教えてください。でも、勉強しかできない子には、しないでください
稲田塾

22
誰も知らなかったら、無いのと同じ
名古屋広告業協会

23
君よ、散財にためらうなかれ。君の十銭で浅草が建つ
宝島社

24
ビールは透明な音楽だ

25
一目で義理とわかるチョコ


以上です。
まだまだありますが紹介しきれないので、興味を持ってくださった方がいたら街に出て探してみてください。いい物があったら、私にも教えてください。

郷愁

小学生の頃、他県で過ごした。背の高い建物など殆ど無く、公園の多かったその場所はとても長閑だった。不思議なもので人間とは生まれた場所やもっとも長く過ごした場所よりも、少年の頃に過ごした場所を故郷と感じるようだ。つまるところ私にとっての故郷とは、東海とも中部ともとれる大きな県の中にある、県より有名な市にある小さな町なのだ。

学生生活が終わりに差し掛かった頃、誰にも告げずに1人ふらっと故郷に帰った事がある。
数多の公園のいくつかはアパートに変わり、背の高い建物がいくつか増え、通っていた小学校は廃校になっていた。私が通っていた当時も6学年合わせて100人に満たなかったのだから当然かと納得しつつも、寂寥感は募った。
その後に住んでいた5階建ての小さなマンションに立ち寄った。一階で夫婦で営んでいた仲の良かった小さな喫茶店は閉店し、理髪店になっていた。あの夫婦はどこに行ってしまったのだろう。思い返せば随分良くして貰っていた。
当時住んでいた最上階の部屋は、今は知らない誰かが住んでいて、隣の部屋の表札も変わってしまっていた。

10年と少しで随分と変わるものだ。
遠路遥々やってきてはみたものの、私は当時の友人と会うどころか連絡すらしなかった。きっと再会したところで、当時の無邪気に笑い合えた関係性はとうに終わってしまっているだろう。再会して、流行りの音楽を聴いて、お洒落な服装をした彼ら彼女らを見てしまった時、きっと自分勝手な絶望を抱いてしまうだろう。

美しい想い出は美しい想い出のままが良い。
ふらっとやってきてしまった事を少しだけ後悔しながらそそくさと帰路についた。
ああ、ここにはもう自分が帰る場所はないんだな、そんな事を再確認した一人旅だった。

そういえば引っ越して間もない頃に何度か友人とやりとりした手紙は、いつの間にかにどこかに行ってしまった。それを今では哀しいとも、寂しいとも思わない。