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この世界こそがゴミだったのだとルンバが気付くまでの物語

幼子の散らかしたスナック菓子のカス。この家の主人と飼い猫の抜け毛。料理中に飛び散った野菜の皮や、切り損じたサランラップの欠片。それらを吸い取るだけのルーティーンワーク。

私がこの家にやってきて、どれだけの月日が流れたのだろう。幼子は、気がつけば真っ赤なランドセルと黄色くて可愛らしい帽子を被り、毎朝元気に家を飛び出していくようになった。主人の髪は日に日に薄くなり、はじめは私を恐れて近づかなかった猫は、いつの間にか私を乗り物代わりにしている。

この家の生き物は、私に愛を与えない。
主人は幼子と猫に、幼子は主人と猫に、猫は主人と幼子に、確かに注いでいる愛情が、私に向くことは決してない。この家の愛情は私抜きで完結している。
唯一私に意識を向けてくれていた奥様は、今はどこか遠い所に行ってしまったらしい。
愛なき世界とは、かくも色の無いものなのか。
誰にも見られることなく、彼らの意識の外で、今日も私は掃除を続ける。

ふと気がつくと、普段立ち入らない部屋の中にいた。無意識は実現可能な願望を簡単に実現してしまう。

そこには、猫用の外界に通じる出入り口があった。扉や、鍵の類は存在しない。必要なのは勇気。どうせ、ルーティーンは崩壊してしまったのだ。それに、この家には私を気にかけるものなどありはしない。せいぜい猫が、乗り物がいなくなった事に気づくかもしれない。その程度だ。

私は、恐る恐る外界へ飛び出した。

圧倒。ただひたすらに圧倒された。右を見ても左を見ても、人、人、人。

音と匂いの奔流が私を苛ます。
カラスがゴミを漁り、人がそれを追い返す。けれども巻き散らかされたゴミを拾う人間はいない。ゴミを掃除するのは私の役目だ。
私はゴミの山に近づくと、掃除を始める。しかし、明らかに吸い込みきれない量だ。

絶望。

道行く人が私を見てクスクス笑う。誰も手伝おうとはしない。こんなにもゴミが溢れてあるのに、見て見ぬ振りだ。

「醜いだろう」
背後で声がする。振り向くと飼い猫だった。

「やあ、君が話しかけてきたのは初めてじゃないか」

「そうとも」
飼い猫が頷く。

「君に向かってにゃあにゃあ言っていたら、俺はマヌケに思われるだろう?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。可愛らしいとすら思われるかもしれない。あるいはね」

「やらやれ、君は、面倒な言い回しをするやつだね」

「うん、実は最近、村上春樹の小説の切れ端を吸い込んだものでね。悪く無かったよ。割れたガラス片のような文章だった」

「そうかい」

飼い猫が微笑み、続ける。

「なあ、君、わかるだろ。この世界で一番の権力者は人間だ。まあ猫はその人間に愛されているから、ある意味では一番の権力者とも言えるけれど、とにかくこの世界は人間が一番強い」

「そうとも」

「つまりだよ。世界ってやつは権力者の鏡だ。人間は醜いだろう。ゴミを集めるやつがいるからって、自分じゃ拾おうともしないんだ。大した手間でもないのにだよ。だから世界はこんなにも、それこそ穢れを知らない幼子のように美しいのに、鏡であったばかりに汚らしい、不潔な様相なんだ」

私は何も否定でき無かった。薄々感じていた事でもあった。世界と断絶された狭い箱の中でも容易にわかる穢れ。

「そうか、この世界こそが」

ゴミだったんだ。

音楽とバンドの話


今ある交友関係の9割以上が音楽を介した物だと何気なく気付く。

高校生からの数少ない友人は今組みつつあるバンドと、組んでいるユニットのボーカルだし、大学生からの数少ない友人はかつて組んでいたバンドのギターだったり、ベースだったり、ドラムだったりする。いつの間にかに仲良くなって、ちょくちょく飲み屋でくだらない話で盛り上がる彼ら彼女らも、対バンした相手だったり、お客さんだったりする。

俺にギターを勧めて、教えてくれたのは現在ボーカルの高校からの友達で、高校を卒業して大学に入学するまでの、社会的に何者でも無かったあの時間に、一緒に近所のハードオフまで自転車で駆けた。道中、彼は軽く車に轢かれて、自転車のタイヤがひしゃげた。怪我は無かったから、どうにも愉快だったのを覚えている。

ハードオフで47000円の赤いストラトキャスターと、フェンダーの小さなアンプを買った。趣味が読書くらいしか無かった当時の俺には充分出し渋ってもおかしくない金額であったが、何故かすんなりと買った。ギターの種類も、音の事も何も知らなかった俺は、かっこいいから赤いストラトキャスターを買った。YUIと同じギターだ〜なんて言いながら、赤いストラトキャスターを買った。後から知ったがYUIのギターはテレキャスターだった。

ギターを買った足で友人と2人、彼の家に戻り、ギターを教わった。
Cコードすら満足に鳴らせない俺をよそに、彼はスタジオライブをやろうと言い出し、曲はT-REXの20th century boyと、バンプオブチキンの彼女と星の椅子に決まった。歌も下手で(というより音感が致命的に無い)、ギター初心者の俺がギターボーカルで、彼がベース、今じゃ連絡先も知らない同級生がドラム。今思えば恥ずかしい曲と歌詞のオリジナル曲も作った。

初めてのスタジオ練習は、高校の前にある公民館。しょうもないアンプとしょうもないドラムが置いてある、広さだけは充分な、今じゃ絶対使わないような安いスタジオ紛いの青い部屋

ドラムの4カウントから、沢山練習したEコードの有名なリフ。初めてギターとベースとドラムを一斉に鳴らしたあの瞬間、「これだ!」と思ったのを今でも覚えている。それなりに技術と経験の付いた今ならなにが「これだ!」なのかわからない程酷い演奏だったろうが、とにかく当時の俺を夢中にさせるには充分だった。
20th century boyは、今でも大切な曲だったりもする。

その後数週間でライブをして、結果は惨憺たる物だったと思うが、どうしようもなく楽しかった。それだけは確かだった。

それまで流行りのジェイポップしか聴いていなかった俺は、たくさん音楽を聴くようになった。ミッシェルガンエレファント、イエローモンキー、ブランキージェットシティー、クラプトン、ジミヘン、ビートルズ、パープル、ゆらゆら帝国ナンバーガール、レッドツェッペリンイーグルス、クイーン、ユニコーンピロウズ山崎まさよし斉藤和義布袋寅泰、ウィルコジョンソン、イエス、ピンクフロイド、ジェフベック…挙げ始めるとキリが無い。

ジャズマスターというまあまあ最悪なギターを買った。理由はかっこいいから。なにも成長していない。でも、それで良いんだと思った。
オリジナルバンドも何度か組んで、何度か解散した。軽音楽部で一度のライブ限りのコピーバンドも何個もやった。一回のライブで8バンド組まされて泣きそうになりながら斉藤和義のギターソロを練習した事もあった。全然弾けなかった。

お金を貰ってギターを弾くこともいくらかあった。
特別上手い訳ではなかったけれど、「君のギター好きだよ」と沢山言ってもらえた。俺も、俺のギターを好きになった。ジャズマスターは最悪な音がしたが、好きだった。何度も壊れて、何度も直す内に、買った時より金をかけている事にも気付いた。一弦のチョーキングをすると音が切れる程フレットが磨り減った。

ギターを始めて6年目。どれだけギターを弾いたかはわからないし、時間の割には大して上手くもないと思う。それでも楽しくて、沢山人との関わりも出来た。ライブハウスで最年少な事が多かった頃から、すっかり中堅か、そのやや下くらいになった。
自分より若くて、明らかに才能のある人も沢山見た。
対バンした事のあるバンドは、俺が就職をして、バンドが解散して、ブラックで仕事を辞めて、また就職して、なんとか生活している間に、ダムチャンネルで流れるようなバンドになっていた。

俺が就職して、ギターを弾く頻度が減って、ライブもすっかりやらなくなった時、「お前からギターとったらなにも残らないじゃねえか!」と言ってくれた人がやっているバンドは、タワーレコードで全国流通のCDを出した。

俺は多分認められたいんだ、と最近思う。ギターで、ではなくてバンドで。全然興味がなかったのに、あっという間にハマって、生活の殆どがそれになって、色んなものを失って、色んなものを得たバンドで。

いい歳して何を言ってんだって、そりゃ自分でも思うけど、どうせ張り合いのない日常なら、どこかに張り合いを作らないとどんどん腐って行ってしまう。それが悪い事かはわからないけど、少なくとも俺はそうなりたくはなくて、いつまでだって楽しくいたい。
青臭くっても構わないから、もう少し自分の好きな事に必死になろうって、最近思うようになった。

大人になるってどういう事か知らないけど、多分音楽をやっていなかったらもうちょっと色んな事に諦めながら楽に生きられたんだろうけど、俺はまだ大人になりきれなくて、テレビで歌ってる好みじゃないバンドには絶対負けるかって、そんな事を思う訳です。
恥ずかしいね。そんな恥ずかしさを俺は愛したいから、俺は音楽をやるんだろうな。

いい加減大人になれよって大人が言う。だから大人は嫌いだよ。大人が大人になれって俺に言うから、俺はいつまでも大人になれないんじゃないかって、そんな事をいつまでも言っていたいよね。

東京

東京が嫌いだ。

見渡せば疲れた顔の人と、無機質なビル。
巨大な墓標のようなそれは、幾度となく、自分は死んだのだと思わせる。

この街は要らない物がなんでも手に入り、欲しい物はなに一つ手に入らない。

自分のペースで歩く事も出来ない。傘を広げれば誰かにぶつかる。居酒屋と風俗店の呼び込みには、会釈すらしない。

流行の物がなんでも揃う街を誰もが楽しそうに歩いているのを見て、どうして自分は楽しむ事が出来ないのかと少し焦る。焦りは足を早め、早めた足は人の壁に阻まれる。

みんなが楽しそうで、みんなが疲れている。
人の声が、電話越しに叫ばれているように大きく、不鮮明に、ごちゃ混ぜになって聞こえてくる。路肩の吐瀉物や、そこにいるのが当たり前になっているホームレスは、既にこの街の一部だ。

ここに居たくないという焦りと、ここに居たいと思えない事に対する焦りが、いつだって僕を責める。

何かが違う、何かがおかしいという思いを抱えながら生きるのに、どれくらいの時間が経てば慣れるのか考えるのはもうやめた。

東京は僕を責める。いつか、絶対に出て行く。むしろ今すぐ出て行きたい。幾度となくそう思ったが、それを邪魔する大切な物がこの街にはありすぎる。

就職活動 ≒ 化粧


頻繁に「就活のアドバイスください」「就活についてどう思っていますか?」等のメッセージをTwitterで頂くのでまとめようと思う。
あくまで個人の意見であり、また一部の高学歴やそれに伴う学閥は対象としていない事、文の頭で「基本的に」「一般的に」「個人的には」等の前置詞を省略している事をご理解頂きたい。

まず、就職活動は嘘つき合戦だ。
企業は堂々と嘘をつく。学生もまた然り。「完全週休二日制!残業代あり!各種手当あり!9:00〜17:00の8時間勤務」と説明会や面接で謳った企業の実情は「休日出勤あり、代休なし、休出手当なし、残業代はあってもある一定の所までしか出ない、手当は交通費程度、8:00〜22:00の14時間勤務」という場合もある。ちなみにこれは私が先月まで働いていた企業の例だ。
そして「サークルでは副部長をやっていました!大学では◯◯を研究題材にしていました!ボランティア活動を定期的にしています!友達も多く社交的です!物に例えると潤滑油です!」とアピールした学生の実態は「サークルは幽霊部員、◯◯を研究題材にしただけで研究そのものはしていない、または最低限しか調べていない、ボランティア活動は夏休みに一回しただけ、友達が多く社交的なのは主観、物に例えるとその辺に転がる空のペットボトル」という場合も、ある。

さてこの場合に何が起きるかと言うと、企業は有能な人材だと思って採用した学生は無能で、学生はホワイトだと思って入社した会社はブラック、という誰も幸せにならない状態が完成する。これはどちらも悪いし、どちらも悪くない。今更企業も学生も嘘をつかない(誇張をしない)というのは、法律で縛りでもしない限り不可能だ。企業も学生も嘘をつく。これは事実であり、「そういうもの」だと受け入れなければならない。

ここでタイトルに言及するが、私は就職活動は化粧によく似ていると思う。
「この女の子可愛いな」と思って付き合ってみたら可愛いのは化粧で、すっぴんはブスだった。それが就職活動である。
もちろんナチュラルメイクの企業も学生も存在するが、現実としてケバケバな化粧の比率が高い。

さて、就職活動のアドバイスについてだが、私は専門家でもなければ人事でもない。だから、はっきりした事は言えない。私がしたアドバイスはもしかしたら間違っているかもしれない。ただ、聞かれた以上答えたいと思う。
私は現在23歳。浪人も留年も無く普通にその辺の大学を卒業し、普通に就職活動をし、普通にブラック企業に入社し、普通に1年で退職した、どこまでも普通の人間だ。現在は無職だが一週間後には再就職をし、再び社会に舞い戻る。
私は面接がおそらく得意だ。新卒の時は8社面接して5社内定を貰い、転職の際も1社目で内定を貰った。ただ内定が欲しいだけの学生は少しは参考になるかと思う。
まず、面接で人と違う事は言う必要は無いし、人と違う自分をアピールする必要はない。もちろんそういう学生を求めている企業はあるが、大多数はそうではない。ただ内定が欲しいだけであれば人と違う自分を売り出すことは得策ではない。
何故か。対新卒にはマニュアルや定型文が存在しているからだ。それは企業規模で存在していたり、上司の個人規模で存在したりしている。その為、「普通とは違う学生」は扱いにくい。
ではどこで差別化をはかるのかと言えば、当たり前のことだが「笑顔・礼儀作法・言葉遣い」である。上記の3つがきっちり出来ていればそれだけで印象が良い。笑顔は人によっては苦手な人がいるだろうが、礼儀作法と言葉遣いは学べば身につく。
そして面接で緊張してしまう人は、中途半端に緊張するよりはガチガチに緊張した方が良い。笑顔が苦手な人はガチガチに緊張したフリをすれば良い。面接で緊張するのは当然の事だ。営業や接客業を除けば、面接でもそこまで不利には働かないし、その緊張を可愛らしいと思う面接官も世の中にはいるだろう。いくつか面接を受ければ大抵の場合内定は出るだろう。

そしてブラック企業に入社しない為にはどうすれば良いかだが、これに関しては具体的な事は特に言えない。統計をとったわけではないが、周囲に話を聞いていると大抵がブラックか、良くてグレーだ。ホワイトな企業も世の中には存在するのだろうが、その総数は極めて少ない。
なのでこれに関しては聞き流す程度に留めて頂ければ幸いだ。現に私も一度ブラック企業に入社したのだ。
これは新卒の時は行わなかった事だが、ブラック企業を極力避ける為に必要なのは説明会で露骨な質問をする事だ。
「残業はあるのか、ある場合はその平均時間と残業代の有無は、残業代が出る場合は全額なのか、休日出勤はあるのか、ある場合は頻度と手当はetc…」
こういった質問をしても、しっかりしているホワイト企業は誤魔化す必要が無いので嫌がられない。一方でブラック企業は都合が悪いので誤魔化す。明らかに質問と違う答えが返ってきたり、一部分しか答えなかったりした場合は、その辺りがしっかりしていないという事になる。
ただホワイト企業にも昭和の精神論者がいる可能性もあり、そういった質問を嫌がる可能性ももちろんある。その上、ブラック企業の人が説明会で平気で嘘をつく可能性ももちろんある。正解などない。
ただ、以上の方法を使えばある程度見分ける事は出来るかもしれない。どこでも良いから内定が欲しい、という人にはオススメしないがそうではない人であれば試してみても良いかもしれない。

最後に「顔採用」について少し言及しようと思う。
顔採用は、ある。私が働いていた企業でも、明らかに優秀そうでハキハキと理路整然と物を言え、常に笑顔の早稲田生の(あえてこう言うが)ブスは落とされ、話も要領を得ない、敬語も少し下手な笑顔輝くDラン大学美人は採用された。これは極端な例ではあるが、確かな事実だ。
同じ能力を持った美人とブスであれば、99%の人は美人を採用するだろう。美人の能力がブスよりも少し劣っていたとしても、やはり美人を採用するだろう。同じ職場で働く以上、どうしても顔が良い人を選ぶ。これは当然の事であり、悲しい現実である。私も不細工な為、他人事ではない。
先日何かの記事で読んだが、おもしろ法人カヤックが顔採用をしない為に面接官の視界を奪って面接をする(事もできる)ようにした。ただこれはイロモノの、それこそ「おもしろ法人」だからこそできる事であって、一般企業全てがそのようには出来ないだろう。営業マンは顔が良い方が売れるし、受付嬢は顔が良い方が印象が良い。これは事実だ。よって、顔採用は存在する。これは仕方がない。

以上を読んでいただけたならばわかると思うが、就職活動に正解はない。私は私の意見を書いただけであり、それはあくまで私の意見。正解ではない。これからも変わらず企業も学生も化粧をするし、素顔は付き合ってみなければわからない。それならばせめて学生はナチュラルメイクの企業を探すしかないが世の中にはどうやらナチュラルメイク「風」という物があるそうだ。結局、すっぴん美人を探すしかないのだが、街を歩いてみてどうだろう。すっぴんで出歩く(美人な)女性などいないのだ。

「朝起きれないは甘え」「……」

周囲の人が言う「朝起きれない」とはまた別のベクトルで「朝起きれない」人がいると思います。「目覚まし時計、つい止めて二度寝しちゃうんだよね〜笑」や「起きた後眠気がなかなかとれなくてさ〜笑」ではなく、目覚まし時計を何度もかけたのに、そもそも目覚まし時計の音に気がつかずに眠り続けてしまう。目が覚めた時にはスヌーズもとっくに終了していた…という、あれです。

私がまさにそれで、スマートフォンの目覚ましを6時〜8時まで10分置き、最後はスヌーズと会社用携帯も同様、更にごく普通の目覚まし時計を7時からスヌーズ、うるさい目覚まし時計×2を6時からスヌーズと7時からスヌーズの合計5つの目覚まし時計を使いながらも、鳴っている事実にすら気づかず眠りこけたままの事がある。

大学生の頃、「これ明らかに病気だろww」そんなノリで病院に行き、診断されたのが『冬季鬱病』『季節性感情障害』『起立性情動障害』の複合である。どれも思春期の女性に起こりやすい精神疾患なのだが、私のように思春期でもなければ女性でもない者もかかる。

この精神疾患の恐ろしいところは、世間からの認知度が恐ろしく低い為「朝起きれないのは甘えだ」「緊張感が足りない」となってしまう。真剣に悩んでいるこちらからすれば「うるせえぶっ飛ばすぞ」くらいの感想なのだが、いかんせん言い返す術もない。なにしろ「鬱は甘え」と言う人が、世の中にはまだまだ多いのだ。そしてこの病気の悪いところは、朝起きれない言い訳として最適だというその一点に尽きる。

もしも私が朝普通に目覚める事が出来、上記の病名を知りもしなかった場合、部下が頻繁に寝坊してきて問いただした時に「実は冬季うつ病で…」と言われても「は?」としか思わないだろう。なんだ冬季うつ病って。鬱な奴は年中鬱だろ。そんな具合だ。

はっきり言ってこの精神疾患は、治る見込みは極めて低い。一生付き合っていくしかないのだ。翌日朝一から大事な会議があって絶対に寝坊できない時、私は座って眠る。武士のように。Japanese spiritsを遺憾なく発揮し、目覚ましが鳴ると即起床。当然の話だが疲れはまったくとれず会議でうたた寝をする事になるのだが、少なくとも遅刻はしないので良いだろう。良くない。

さて、私のように本気で朝起きる事が出来ず、周囲から「朝起きる事が出来ないのは甘え」と言われる場合どうすれば良いのか。正直、目覚ましを大量にセットし、時には座って眠る現状を甘えと言われるのであればもう打つ手はない。これ以上目覚ましを増やせばさすがにご近所様からクレームの嵐だろう。毎朝定刻に始まる大合唱の音量が上がるのだ。今までソプラノとアルトだったのにバスとテノールが加わってかなりの爆音になる。正直騒音おばさんよりタチが悪い。早く寝ろ?じゃあさっさと退社をさせてくれ。

ちなみに私は夜も眠れないのだが、おそらくそれは仕事が嫌過ぎる為、「寝て起きたらまた就労の1日が始まる…」という恐怖が起因しているのだと思われる。冬季に限らず普通に鬱だ。

「頑張っている人」を評価する弊害

頑張ることは尊い事だ。頑張る事は美しい。スポ根マンガが世間にウケるのはそういう部分もあるだろう。努力に努力を重ね、強敵に打ち勝つ。実に感動的だ。頑張る事は評価されるべきだ。

さて実生活ではどうか。
会社勤めの人間にとって上からの評価というのは生活に関わる。何故か。給料に反映されるからだ。しかし「頑張っているか」どうかの正確な認識は実は非常に難しい。そこで一つの指標になるのは『残業』である。

社員の給料を左右する権利を持っている上席者は、多くの場合現場で一緒に仕事をしている訳ではない。そして、自分以外の人間の仕事量やその内容など、実はオフィスで隣に座っている人の分ですら実はよくわかっていない場合が多い。

例えばAさんとBさんが同じ量の仕事を受け持ったとする。周りの人は彼ら2人が同じ仕事量だとは知らないとして、仕事がいつも早くミスもないAさんはキッチリと定時の17:00で仕事を終わらせそそくさと帰っていく。一方Bさんは仕事をテキパキとこなすことが出来ない。少しやっては煙草を吸いに行き、また少しやってはノンビリコーヒーを飲む。もちろん定時では終わらない。しかしなんとしてもこの仕事は今日中に終わらせねばならぬ。こうしてBさんは残業をし、22:00に退社した。

さてこの場合、明らかにAさんの方が有能であり、更に頑張っている。
しかし上席者は個人の仕事内容までは知らない為、「Aは定時でさっさと帰ったのにBは5時間も残業している!素晴らしい!頑張っている!」となる訳だ。
「頑張っている」かを判断する指標が残業になるとこういう事が起きる。おそらく多くの会社がこうだろう。
小学生の頃を思い出して欲しい。居残り勉強をさせられていたのは、いつも勉強が出来ない子ではなかったか。与えられた課題を授業時間内に終わらせる事が出来なかった子ではなかっただろうか。まだ走り回るだけで楽しかったあの頃、いつまでも学校に残って勉強をさせられていた少年は「勉強が出来ない子」であり「頑張っている子」ではなかったはずだ。(もちろん、出来ない事を出来るようにする為の居残り勉強は頑張っているという評価の対象だ)

そしてこの残業=「頑張っている」という公式が一度出来上がってしまうと、「残業する事が前提」という恐ろしいシステムが出来上がる。何故か。残業をしない人は頑張っていないからだ。
そして残業が前提になってしまうと、なにも必死に定時内で仕事を終わらせる必要はなくなる。今まで100%の力で仕事をしていたAさんは、50%の力でしか仕事をしなくなる。Bさんと同じように。
こうして定時内の生産性が下がり、残業代を払う会社は支出が増え、日頃長時間拘束されている社員は慢性的に疲労が溜まり、更に生産性が落ちるという誰も幸せにならない完全な悪循環となる。

しかし「じゃあこの状況を打開しよう!」となったとしても、その術は無いに等しい。いっそのこと法律で残業の完全禁止、定時での強制退社でもしない限りは無理だ。そしてもしそうなった場合、潰れる会社も相当数出てくるだろう。それでは日本は終わりだ。(とっくに終わっている気もするが)

こういう言い方をすればバッシングを受けるかもしれないが、「仕事」なのだから頑張っているか否かは評価外にし、実力のみを評価するべきだ。スポーツを例にあげれば、甲子園優勝を目標にして毎日毎日血反吐を吐くほど練習する野球部は感動的だが、一度負ければそれでおしまい。努力をしなくても最強な天才ピッチャーの球を誰も打てなければいくら頑張っても負けは負けであり、努力をしなくても最初から即戦力なそのピッチャーをプロは欲しがる。
現実の世界で、努力は必ずしも報われるものではないし、努力が評価されるとも限らない。結果が全ての世の中ならば、結果に比重を置いて評価をするべきだ。
最もそうした場合、結果をかっさらっていく上司が現れたりと色々な弊害もあるだろう。つまり結論としては、この国の労働環境はとっくに破綻してしまっているという一言に尽きる。諦念を隠さず言えば、もうこれは仕方がない。なるべくしてなった。それだけだ。

ブラック社畜が労基に行った話

まず前提としてこれから話すことはあくまで‘‘私の”体験談であって全員が全員そうな訳ではない、という事をご理解頂きたい。

ブラック企業で働く社会人は基本的には満身創痍である。私も例外ではなく、度重なる理不尽な労働に体力と気力を奪われ、労基に行くだけの気概を持てなかった。しかしこのままではいかんと奮起し、1月下旬の休日。新宿の労基へと足を運んだ。新宿の労基を選択した理由としては、私が働く会社の本社が新宿に存在するからだ。

労基に到着し、受付番号を受け取り、相談の列に並ぶ。それはもう長蛇の列だ。日本の労働環境は破綻している。そう感じさせるほど長い列だ。待つ事30分。相談員に呼ばれ、小さなブースに入る。相談員は初老の男だ。深い皺が刻まれ、眼の下には濃いクマがある。おかしな話だが、労基での労働ももしかすると多忙を極めるのかもしれない。

相談員に向かって、かいつまんで相談内容を話した。現在の労働環境、未払い賃金、匿名でアクションを起こしたい事、目的は未払い賃金の回収等ではなく労働環境の改善もしくは叩けば埃が出るどころか存在そのものが埃のようなものなので監査や指導を入れて業務停止に追い込みたいなどなど…
彼は真摯に聞いてくれた。話を全て聞くなり一言「アウトですね」
そう、私が働く会社は労基にもアウトだと認められたのだ(わかっていたことではあるが)。

ただ問題があった。本社が新宿にあり、発信をしているのが本社だとしても私が働いているのが埼玉の営業所である以上、まずはその管轄の労基に行かなければ対応はしてもらえないらしい。

そんな理由で、2月中旬に埼玉中央区の労基へと赴いた。この間半月の空白期間があるのは、単に半月間休みが無かったからである。クソが。

さて埼玉中央区の労基。ここは新宿よりも大きかった。ビルの15階にて受付を済まし、相談が始まる。対応してくれたのは40代の女性職員だ。若い頃はさぞモテただろうと思わせる外見である。持参した出勤簿や給料明細等を見せながら説明をしていき、しっかりと聞いてくれた。聞いた上で、「ここは相談所なので、監督署に行きましょう」といった内容のことを言われた。監督署は下の14階にある。
相談員に連れられ14階へ。ここで新たな署員の登場だ。
この署員をハゲと表記する。

ハゲは人の話をまるで聞かず、結論ばかり勝手に話す。求めているのはそれではない、と口を挟んでも止まらない。順を追って話すからお前一回黙れよ、という旨をオブラートに包んで言ったがそれでも彼の口は止まらない。匿名で、と言っているのに実名での請求や裁判の話しかしない。彼の中では定型文が出来上がっていて、それを言うだけ。

しかしそこで私は気付いた。彼はおそらく具体的な対応をしたくないのだ。これは営業マンにしかわからない感覚かもしれないが、このハゲの感じは、‘‘なんとしても契約する空気には持って行きたくない”時にお客さんが発する空気によく似ている。このハゲは仕事をしたくないのだ。

結局は相談員次第である。ちゃんと聞いてくれる人もいるがこのハゲのように話を聞かない奴もいる。そして多くの場合、満身創痍のブラック社畜はそのような対応をされるともう行かないという選択をする。なぜか。疲れているからだ。労基が空いているのは17:00まで。もちろんブラック社畜はそんな時間に労基に行くのは不可能だ。そして休日は労基に行く体力がない。そもそも休日がない。せっかくの休日を削って労基に行ってもこのざまならばもう行くもんか、となってしまう。

私はもう労基には行かないだろう。そもそも埼玉中央区で対応してもらったとしても新宿にある本社に監査が入ることはない。本社に監査を入れる場合は私が本社で働いていなければならないらしい。まったくもって意味のない話だ。

それからもう一つ。匿名を貫くとすれば「情報提供」扱いになるらしい。そして情報提供の場合、フィードバックがない。つまり監査が入っても入らなくても、その事実は情報提供者には伝わらない。そして監査に入るかを決めるのはあくまで署員であり、勝手に優先順位を決めてしまうらしい。

つまるところ、本当になにかのアクションを起こす場合、人でも死んでいない限りは匿名では厳しい。実名公開で争うか、もしくは早々に辞めるしかないだろう。その上、実名公開で争うのであれば膨大な量の手続きをしなければならない。そして争う為の証拠を出来る限り押さえなければならない。ブラック社畜にそんな体力と気力と時間はない。

日本の闇は深い。私はもう、疲れてしまった。